

パニエで真横に張ったスカートに、幾重にも重ねられたリボンやフリル。現代のアイドルシーンを見渡すと、普段着とは明確に切り離されたデコラティブな衣装が存在感を放っている。こうした“かわいい服”は、一体どのようにして生まれ、受け継がれてきたのだろうか。その歴史をたどると、大正期の少女文化に始まり、1960年代のミニスカートブーム、大人のモードとは異なる価値観を打ち出した1980年代の少女趣味ファッションなど、日本独自の変遷が見えてくる。やがて1つの様式美として確立されたロリータファッション、そして現代のアイドル衣装に見られる装飾性。日本の“かわいい服”の歴史と現在地を文化服装学院の朝日真教授に聞いた。
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朝日 真/文化服装学院専任教授、文化学園服飾博物館特任研究員。1988年、早稲田大学文学部卒業後、文化服装学院服飾研究科を経て、同学院教員に。「世界でもっとも影響力を持つ50人のファッションデザイナー」(共同監修)ほか、文化出版局「装苑」をはじめ、ファッション誌への寄稿も手掛ける。加えて、ユナイテッドアローズ、ユニクロ、エルメスなどの企業研修講師も務める。このほか、NHK「美の壺」「チコちゃんに叱られる」などのテレビにも出演。
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“かわいい服”の原点は大正期の少女文化
──日本のファッションにおいて、“かわいい”という感覚が芽生えたのはいつ頃なのでしょうか。
“かわいい”という感覚の起源については、さまざまな議論があります。比較文化学者の四方田犬彦さんは、清少納言の「枕草子」を起源とする、小さいものを可憐に思うさまである「うつくし」という感覚に着目し、江戸時代の歌舞伎や近代文学などを通じて日本独自の美意識として発展してきたと論じています。
ですが、ファッションの文脈で捉えるなら、明治末期から大正期にかけて形成された「少女文化」がひとつの起点になるでしょう。文献で言うと、古賀令子先生(文化学園大学名誉教授)が「『かわいい』の帝国」(青土社、2009年)で書かれていますね。
──少女文化、というのは?
『少女の友』(1908年創刊)や、『少女世界』(1906年創刊)といった少女雑誌に代表されるような、近代的な少女観をもとにしたものを指します。日本と西洋のテイストをミックスしたようなもので、後に中原淳一さんが立ち上げた『ソレイユ』(1946年創刊、※1948年にそれいゆに改題)のような世界観ですね。
リボンや花柄、フリルといった服装が目立ちますが、これは現在の感覚とも近い、当時の“かわいい”とされていたファッションでしょう。

それいゆ(右)、中原淳一が編集者として携わった1947年創刊のひまわり(左)
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──大正期の少女文化が生まれた背景には、どのような社会的・文化的変化があったのでしょうか?
西洋では19世紀後半まで、「クリノリン」(スカートをドーム状に膨らませる骨組み)や「バッスル」(腰回りを後方に高く盛り上げる腰当て)などを用いた装飾的なドレスが着られていました。しかし、20世紀に入り、第一次世界大戦などを経て、女性の服装はより活動的で簡素なものへと変化していきます。日本でも、こうした西洋の服装の変化を受けながら、洋装が徐々に広がっていきました。
それまで着物が主流だった日本人にとっても、洋服が次第に身近で着やすいものになっていったことは、1つの理由でしょう。
──いつ頃から洋服を中心に着るようになるのでしょうか?
本格的に日本人が、特に若い世代が洋服を着るようになったのは第二次世界大戦後、1940年代後半から1950年代にかけてからですね。ウエストを絞り、裾に向かって大きく広がるボリュームのあるスカートがブームとなりました。
当時、流行を作る媒体として力を持っていたのは映画です。「ローマの休日」(1954年日本公開)で知られているオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)が登場すると、その装いを“かわいい”と感じた日本の女性たちが模倣し、街の装いが変わっていきました。
──そこから“かわいい”ファッションはどのように発展していきますか?
1つ大きな動きとしては、1960年代のミニスカートの大ブームでしょう。ミニスカートは、それまでの女性服の常識を覆し、膝を大胆に露出するスタイルを一般化させました。欧米では、その機能性から大人の女性の解放といった文脈で語られることが多いのですが、同時にネオテニー(幼さやあどけなさを感じさせる表現)という側面も持っていました。というのも、西洋の伝統的な感覚では、膝を出すというのは少女や幼女のスタイルだからです。
ミニスカートの生みの親については諸説ありますが、マリー・クワント(Mary Quant)やアンドレ・クレージュ(André Courrèges)がその普及に大きく貢献しました。特にクレージュがパリで発表した膝上丈のスカートは大きな注目を集め、1960年代半ばにはミニスカートが世界的な流行となっていきます。日本でのブームを決定づけたのが、1967年10月に英モデルのツイッギーがミニスカートを着て来日したこと。彼女がまとっていたのは、成熟した大人の女性の魅力よりも、少しあどけない少女のような魅力でした。そうした部分が日本の“かわいい”文化と合致するところがあったのでしょう。

1967年10月、来日したツイッギー
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強い女性像とは対照的 1980年代の少女趣味
──1970年代に入ると、ファッションはどのように発展していくのでしょうか。
1970年代は女性服のパンツスタイル(ベルボトムなど)が急速に一般化していった時代ですが、ヒッピームーブメントを背景に、エスニックやフォークロア(民族衣装)への注目も集まりました。「ケンゾー(KENZO)」の高田賢三さんがパリで発表したようなスタイルですね。
民族衣装に見られるティアードスカート、フリル、レース、花柄、三つ編みといった要素は、日本の服装文化とも親和性が高く、色使いやニットの質感も含めて魅力的でした。のちに“かわいい服”を形づくる装飾技法が、ファッションの中に蓄積されていったといえるでしょう。

ケンゾー 1973年秋冬コレクション
Image by: Reginald Gray, WWD,Penske Media via Getty Images
──そして1980年代に入ってきます。
1980年代は非常に興味深い対比が見られます。海外のコレクションでは、女性の社会進出を背景に、ティエリー・ミュグレー(Thierry Mugler)やクロード・モンタナ(Claude Montana)が肩パッドを強調したパワースーツを提案するなど、強く自立した女性像を打ち出すスタイルが注目されました。一方、アズディン・アライア(Azzedine Alaïa)に代表される、身体のラインを強調するボディコンシャスな服も人気を集めます。日本でも、「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」や「ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)」に代表される、黒を基調とした前衛的なスタイルが注目を集めました。全身を黒で統一した人々は「カラス族」と呼ばれ、独自のファッション文化を形成していきます。
しかし、その対極で、日本独自の甘いブランド群が注目され始めたのもこの時代でした。「ピンクハウス(PINK HOUSE)」(1972年)や、「ミルク(MILK)」(1970年)は1970年代からありましたが、雑誌『Olive』(1982年創刊)の登場も後押しとなり、この時代により勢いを増していきます。中でも金子功さんによるピンクハウスは、独特なプリントと装飾的な重ね着が特徴的なユーロロマンティックスタイルで、1980年代のDC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドブームの主役の1つになっていきます。

ももいろクローバーZとピンクハウスのコラボレーションイベントの様子(2017年)。スタジャンにフリルや花柄ワンピースを合わせる、1980年代当時の象徴的な重ね着スタイルとヘアメイクを再現した。
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──同じ時代に、強さを表現するモードとは異なる方向から、独自の自己表現を追求するファッションも生まれていたのですね。
はい。そうした大人のモードを好まない層から、花柄のワンピースや、波打つようなひだ飾りがついたラッフルカラーのブラウス、フレアロングスカートといったスタイルが支持されました。加えて、1980年代中頃になると、ロリータファッションの原型とも呼ばれる「ジェーンマープル(Jane Marple)」(1985年)や「クードゥピエ(Coup-de-Pied)」(1986年)が登場し、子ども服の「シャーリー・テンプル(Shirley Temple)」の大きめのサイズを成人女性が着るという現象も生まれます。海外のハイファッションとは異なる、フリルやリボンをふんだんに使った、少女趣味的な服の原型が、原宿を中心としたストリートで急速に形づくられていきました。
そもそもファッションには、多かれ少なかれ常に変身願望が根底にあります。当時のコム デ ギャルソンに代表される日本のモードには、異性の視線にとらわれない強い女性像への変身願望がありました。その表現は形を変えながらマルタン・マルジェラらに継承され、やがて現在のファッションでもメジャーとなっていきます。その対極にあったピンクハウスなどの“かわいい”ブランドも、同じく「異性の視線にとらわれない自己表現」という側面を持っていました。しかし、こうしたブランドはバリエーションを広げながらも、基本的な世界観を保ち続けました。メインストリームとは異なる存在でありながら、独自の変身願望を満たす存在として定着していったのです。
原宿で花開いたロリータとシノラー文化
──1980年代までに生まれたそうしたファッションスタイルが、「ロリータファッション」へつながるのでしょうか?
そうですね。1980年代に作られた雛型に対して、1990年代初頭あたりから「ロリータファッション」という名称が明確に当てはめられ、言語化されていった印象です。「ベイビー・ザ・スターズ・シャイン・ブライト(BABY, THE STARS SHINE BRIGHT)」などのブランドが支持を広げ、2001年の『ゴシック&ロリータバイブル』創刊などを経て、1つの完成された様式美として確立していきました。

Image by: Guy DURAND Gamma-Rapho via Getty Images
加えて、1990年代には篠原ともえさんに代表される「シノラー」のように、別の切り口の“かわいい”も出てきます。
──それはどのようなスタイルですか?
シノラーは、ロリータのようなクラシカルな装飾性とはまた別の、原宿のインディーズカルチャーから生まれたスタイルでした。アイテムは、カラフルなTシャツやオーバージャンパー、ショートパンツに大量のアクセサリーを合わせた雑誌『CUTiE』(1989年創刊)のような世界観です。日常着のカジュアルなアイテムを色使いと小物で自由にまとった、ストリート発の自由な“少女っぽさ”が特徴と言えるでしょう。
CUTiEに登場した篠原ともえ(本人公式インスタグラムより)
様式美となったロリータ 非日常化するアイドル衣装
──2000年代以降、日本のファッションを取り巻く環境はどのように動いていくのでしょうか。
服飾史というマクロな視点で見ると、2000年代以降に進んだのは徹底的な省略とカジュアル化でした。もともと下着だったTシャツやスポーツウェアだったスウェットが街着になり、男性のスーツからもネクタイが外されていく。性差のないユニセックスな服が増え、現代の若者の大半がスウェットやデニムといったシンプルな服を選ぶようになりました。
装飾を削ぎ落とし、機能的になっていくのが近代以降の服の大きな潮流です。街全体の装いが、どんどん日常的で合理的になっていきました。
──そうして日常着がシンプルに削ぎ落とされていく中で、“かわいい服”の世界はどうなっていったのでしょうか?
そこが現代の服飾文化の非常に面白い現象で、日常着がカジュアル化していった一方で、“かわいい”の世界、とりわけアイドル衣装などは、昔と比べて圧倒的にデコラティブになったんです。
例えば、1970年代の天地真理さんや80年代の松田聖子さんたちの衣装を思い返すと、もちろんスタイリストの手は入っていましたが、基本的には「普段着の延長線上にある華やかなワンピース」でした。街着と衣装の距離が今ほど離れていなかったのです。
しかし、AKB48の制服スタイルや、乃木坂や欅坂といった46グループのような大人しめのワンピースといった表現を経て、現代のアイドル衣装の中には、普段着とは明確に切り離された、非日常的なコスチュームとしての性格を強めているものもあります。パニエで真横に張ったスカートや過剰なフリル、ロココ調のディテールなど、かつてのアイドル衣装と比べても、装飾性が格段に高まっているように感じます。
──明らかに変わってきていると。それはなぜでしょうか?
これは仮説ですが、アイドルとファンの距離感が変化したことが理由だと思います。昭和のアイドルはファンにとって、まずテレビや雑誌を通じて接する遠い存在でした。存在そのものに手の届かない距離感(偶像性)があったため、衣装をあえて非日常的なコスチュームにして別次元を演出する必要がなかったのです。
一方、2000年代以降、握手会などのファンとの直接的な交流を重視するアイドルが増え、アイドルは以前よりも"身近な存在"になっていきました。しかし、あまりに身近すぎるとアイドルとしての偶像性が薄れてしまいます。だからこそ、普段着とはかけ離れた作り込まれたコスチュームをまとうことで、"別次元の特別な存在"であることを示しているのではないでしょうか。また、近年のSNSにおける"写真映え"需要もこれを後押ししているでしょう。



FRUITS ZIPPER
Image by: KAWAII LAB
──文化服装学院で教鞭を執られる中で、“かわいい”を着こなす学生たちにも変化を感じますか?
昨今強く感じるのは、頭からつま先まで完璧にワンブランドで固めて着こなす学生がすごく増えたということです。10年ほど前は、普段着の中にロリータの要素を少し混ぜるような着方も見られましたが、留学生を中心にトータルコーディネートで固めてくる人が多くなった印象です。
ただそれは、新しい形の“かわいい”を生み出しているというよりは、過去の完成された形式の踏襲に近いでしょう。ロリータは1980年代から数えればすでに40年以上の歴史があります。もはや一過性の流行ではなく、クラシック(様式美)になったと言えます。
──ロリータファッションが1つの様式美として定着した背景には、日本独自の美意識もあるのでしょうか。なぜ日本では、これほど長く少女的なイメージが支持されてきたのだと思いますか?
欧米と日本では、少女的なものや幼さに対する美意識に違いがあると思います。日本には古くから、小さくあどけないものや、デフォルメされた造形を愛でる文化的な下地がありました。
その感性はファッションに限りません。浮世絵などに見られる平面的な表現は現代のマンガやアニメにも通じますし、「キャンディ・キャンディ」や「プリキュア」のように、少女的なキャラクターが世代を超えて愛されてきました。現代美術でも、奈良美智さんが描く子どもたちや村上隆さんの作品など、"幼さ"や平面性を特徴とする表現が、日本発の文化として世界に発信されています。ファッションにおける少女的なスタイルも、そうした日本独自の美意識と無関係ではないと思います。
【連載:「かわいい」カルチャー】
時代とともに移り変わる、「かわいい」の価値観。今の時代のかわいいって、どういうこと? 令和のかわいいの作り手や体現者へのインタビュー、それを受けとめる世の中の心理の分析など、さまざまな切り口でかわいいを掘り下げます。
第1回:ウォン・ジョンヨが語るメイクアップの可能性 ⎯⎯「かわいい」は引き出すもの
第2回:“かわいい”メイク〜佐々木心菜〜 韓国メイク着想でミルキーな表情をメイク
第3回:”かわいい”メイク〜中村圭佑〜 スタイリッシュに盛るメンズメイク
第4回:太眉、細眉、平行眉……時代を映す 「かわいい」メイク史
第5回:「ちいかわ」はかわいい顔した現代社会? 死生学者が紐解く、大人が惹かれる理由
第6回:こだわりを貫き、生きづらさを肯定する ⎯⎯大森靖子が考える“かわいい”ということ
第7回:ファッション業界のドルオタが夢中になるアップカミングアイドル8選
第8回:海を渡った「地雷系」ファッション 中国を中心に海外で広がる“病みかわいい”ブーム
第9回:ケンゾーからロリータ、アイドル衣装まで 受け継がれる“かわいい服”の遺伝子
第10回:オサレカンパニーに潜入 =LOVEの衣装制作過程をレポート
第11回:かわいいファッションを作るスタイリストに聞いた セレクトショップとブランド
第12回:AKB48 伊藤百花にとっての"かわいい"とは?
第13回:大人も魅了する「ガシャポンⓇ」の魅力をバンダイで探る
※企画内容や掲載スケジュールは予告なく変更となる場合があります
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