第4話からつづく——
パリから東京に戻った古田泰子は、知り合いの紹介で衣装デザイナーとして働き始める。有名タレントやミュージシャンのコスチュームデザインを次々と手掛け、そして念願だったコム デ ギャルソン社でパタンナーアシスタントとしての職を得た。だが、実際の現場では予想を超える試練が待ち構えていた。——「トーガ(TOGA)」の創業デザイナー古田が半生を振り返る、連載「ふくびと」トーガと古田泰子・第5話。
・「ステージ衣装を作ってみない?」
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帰国後、親からお金の援助は終わりと宣告され、ひとまず学生時代の友人のお母さんの事務所に転がり込みました。その方は映画のスタイリングなどをされていて、目黒の洋館をスタイリスト兼ウエディングの事務所にしていました。家賃もいらないと言われて、ごはんも出てくるからずっと居ついてしまって。あんなに意気込んでフランスから帰国したのに、何もせず半年ほど甘えに甘えた居候生活。このままではダメだと、友人と家を借りました。
学生時代にお世話になった別のスタイリストさんに「せっかくフランスで勉強してきたんだから、一点物のステージ衣装を作ってみない?」と仕事を世話してもらい、やっていくうちに他からも依頼が来るようになりました。普通だったら衣装を作るだけなんですが、打ち合わせもデザイン画のプレゼンも、モデルさんやタレントさんのフィッティングもする。監督からダメ出しがあればすぐに作り変えて、といった全てに関わります。
例えば、紅白歌合戦のEvery Little Thing(エヴリ・リトル・シング)の衣装や、「日清焼きそばU.F.O.」のSPEED(スピード)など様々なコマーシャルの衣装制作。CDジャケットやコンサートの仕事なども。宇都宮隆さんの中野サンプラザでのライブ衣装は、ダンサーが両側からスーツを引っ張ると真ん中がベリッと分かれる早替わりの仕掛け。ただ、仕事をもらえるのはありがたい一方で、心のどこかで「私は一体何のために服を作っているんだろう」という想いもありました。
・憧れのギャルソン、突きつけられた現実
パリから帰ってきて本当にやりたかったこと。「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」が忘れられず、アルバイト試験から挑戦することにしました。無事にパタンナーアシスタントを務めることになったんですが、そこからが大変。問われるのはパターンを読む力と縫製能力。それまでやってきたのとは全く違うことが要求されます。朝出勤すれば、スケジュールがびっちり決められた紙が机の前に貼ってあり、最初の頃はお昼ごはんも食べられないほど。私語は無く無音。1〜2ミリの縫いズレも見破られるので、ごまかしが効かないストイックな世界に一気に飛び込みました。
黙々とトワルを縫って、パタンナーさんに見せて、修正したら次のパターンに取り掛かって、という繰り返し。コレクション前の時期になると、それが夜中まで続きます。一息つけるのは、トイレに行く時くらい。
やっぱりアシスタントではなくゼロから作りたい。それでコム デ ギャルソン社の新卒社員向けの採用試験を受けました。面接や簡単な実技、社長面接などがあって、最後にまた実技といった内容。川久保さんの面接は、皆が紺や白のいわゆるリクルートスタイルで臨む中、私が着ていったのはピンクとグリーンの服。その時のギャルソンが、初めて黒以外にフォーカスしたコレクションのシーズンだったから。社長面接は通ることができて、認められたんだと思いました。
でも、最後の5次試験で落ちてしまった。とても大きな目標でしたし、自分ではてっきり通ると思っていたからショックを受けて。でも、居候させてもらった友人のお母さんから「あなたは一人で始めるべきよ」と言われ、「これで落ちたのも何かの答えかもしれない」と思うようになりました。——第6話につづく
第6話「前衛的な雑誌ジャップで誌面デビュー」は、8月18日正午に公開します。
文・辻 富由子 / 編集・小湊 千恵美
企画・制作:FASHIONSNAP.COM
【連載ふくびと】トーガと古田泰子 全10話
第1話―「大人の文化」を先取りしていた子ども時代
第2話―スキンヘッドの女子高生、モードを志す
第3話―「何を伝えたくて服を作っているのか?」
第4話―パリの洗礼とコム デ ギャルソンの衝撃
第5話―衣装デザイナーとしての活動、そして挫折
第6話―前衛的な雑誌「ジャップ」で誌面デビュー
第7話―世の中を変える「場所」を作りたくて
第8話―パリからロンドン、まだ見ぬ世界へ
第9話―「なりたい自分」を叶えるのがファッションだ
第10話―聖なる衣が最期を飾るまで
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