Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)

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半年前、2026年秋冬シーズンのコレクションレポートで、筆者は「ユウショウコバヤシ(yushokobayashi)」がこれまでとは異なる場所へと押し出され始めている、と書いた。今季からは、これまで補助という形でブランドに携わってきた上原碧海がニット部門のデザイナーとして正式に加わり、小林裕翔との2人体制へと移行。「コム デ ギャルソン・シャツ(COMME des GARÇONS SHIRT)」との協業や、国内外アーティスト・セレブへの衣装提供、パリでのショールーム出展など、ブランドを取り巻く環境は輪をかけて大きく変わりつつある。そんななかで発表された2027年春夏コレクション「Mermaid's Tears」には、新たな場所へと歩み始めた小林の複雑な心境が表れていた。
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昨年「TOKYO FASHION AWARD」を受賞した小林は、知人から「裕翔くんはずっと地下にいると思っていた」と言われたことをきっかけに、自身の現在地を見つめ直したという。それまで「底」にいる感覚はあったものの、その先に何があるのかは見えていなかった。しかし、「地下」という言葉によって、空だと思っていた頭上に水面が、その向こうにまだ見ぬ「地上」があることに気づいたと小林は振り返る。そこで今季のコレクションを製作するにあたり、自身の姿を重ねたのが、海の底から地上に憧れる「人魚姫」だった。
人魚姫は物語の中で、地上へ行くために声を手放し、人間の姿を得る一方で、歩く苦しみや人を好きになる痛みを知っていく。新しい世界に踏み出すことで、何かを得ると同時に、それまで知らなかった痛みにも出会う。小林はそんな人魚姫の物語に、地上を知り、そこへ向かおうともがく自身の経験を重ねた。コレクションノートには、足を得た人魚姫のその後の姿が、小林自身の想像を交えながら綴られている。
地上の世界に憧れた人魚姫は、自分の声を失う代わりに、人間になった。
憧れた姿と引き換えに、自分の足で歩く苦しみを、人を好きになる痛みを知った。
奇しくも、前回のコレクションでは地下深くの冥界、今回もまた海の底が舞台となった。
私は何と引き換えに、地上に上がれるのだろうか。
人魚姫は地上に出て初めて、頬を伝う涙に気がついた。
初めは体の中に残っていた海水が、流れ出したのかと思った。
つらかったが、海の一部が、自分の中に残っていたことが嬉しかった。
しばらくして、それが「涙」だと知った。
それが、悲しみと繋がっているなんて、気が付かなかった。
そんなこと知らなければよかった。
「Mermaid's Tears」コレクションノートより

Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)

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コレクション会場は、前回と同じヒカリエホールA。会場に足を踏み入れると、そこには人魚姫が暮らす「海の底」が作り出されていた。ダンボールで作られた魚や海藻、ガムテープの継ぎ目をあえて残した舞台装置が並び、中央には光を受けて揺らめく水面を思わせるビニールの幕が垂れ下がる。そこにあったのは、精巧に再現された海ではなく、子どもたちが想像だけを頼りに、身近なものを切って、貼って、つなぎ合わせながら、おぼつかない手つきで作り上げたような、どこか未完成な海だった。


座席に置かれたセット
Image by: FASHIONSNAP
座席には、クロスワードパズルや色鉛筆、魚や亀、貝殻、海藻などが描かれた塗り絵が置かれていた。筆者が子どもの頃なら、何の疑問も抱かず色鉛筆を手に取っていたのだろう。けれど大人になった今、「なぜファッションショーで塗り絵を?」と、そこに理由や意味を探してしまう。人魚姫が地上に出て「涙」の意味を知ったように、私たちもまた、いつの間にか目の前にあるものをそのまま見ることが難しくなっている。コレクションノートに綴られた「そんなこと知らなければよかった」という人魚姫の言葉も、どこか他人事ではないように感じられた。

Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)

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小林が人魚姫のまとう衣服の色彩に選んだのは、海の底から水面を見上げたときに差し込む光と、その眩しさへの憧れ。ショーの序盤から中盤にかけては、ホワイトや淡いブルー、ピンクを基調としたルックが続いた。異なるレースを幾重にも接ぎ合わせたドレスや、編み目の密度を不均一に変化させたニットには、パールや貝殻、チェーン、ビーズ、リボンなどが雑多に重ねられ、足元にはほつれた糸やレースが絡みつく。さまざま風合いの素材が境目を失いながら身体を覆う様は、海中を漂う藻屑や、海の底に沈んだものを拾い集めて身につけたかのよう。まだ見ぬ地上に憧れ、人間になることを夢見る人魚姫が、海の底にあるものだけを頼りに記憶の中の「人間の服」を作ろうとしているようにも見えた。

Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)

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人魚姫たちによる「見よう見まね」の様子を直接的に表していたのが、子どもの落書きを思わせるモチーフだ。黒い輪郭線で描かれた花やリボンには、クレヨンで走り書きしたような色彩を重ね、その形を大きく切り抜いて服の上に配置。別のルックでは、亀や魚、貝殻、人魚などの図柄をクッション状に膨らませ、ドレスを埋め尽くすように取り付けた。紙に描いた絵を切り抜き、綿を詰めて形にする。そんな子どもの工作をそのまま服へ持ち込んだような、無邪気で拙い造形が目を引いた。
こうした表現の背景にあるのが、小林がリサーチの過程で惹かれたという「塗り絵」。あらかじめ引かれた輪郭に、自らの手で色を与えていく行為に着目し、コレクションでは花やリボン、海藻などの線画を配したテキスタイルを製作。その上から一つひとつ手作業で色を重ねることで、塗り絵特有の不均一さや、手仕事による揺らぎをあえて残した。

ユウショウコバヤシ2027年春夏コレクションショー会場の来場者スナップ
Image by: FASHIONSNAP

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ユウショウコバヤシは、熱狂的なファンによるコミュニティとともに育ってきたブランドでもある。ショー会場にはブランドの服をまとった人々が集まり、ときには来場者まで含めて一つの世界観を作り出す。そこにあるのは、単なる作り手と着る人という関係ではなく、どこか未完成で、社会にうまく馴染みきれない孤独さや、子どもの頃の純粋さを捨てきれない気持ちを共有する人々との精神的なつながりだ。
海の底にあるものだけを頼りに、まだ見ぬ「人間の服」を作ろうとする人魚姫の姿は、コミュニティの中で製作を続けてきた小林の姿と重なる。これまで自分たちが面白いと信じてきたものを、同じ感覚を共有する人々に向けて作ることと、その外にある“世間”に認められること。ブランドがより広い世界へと進むほど、これまで必要のなかった外からの視線も意識せざるを得なくなる。その視線に応えるために自分たちを変えるのか、それとも、海の底で大切にしてきたものを抱えたまま地上へ向かうのか。人魚姫の無邪気で未完成な装いには、その間で揺れる小林の現在地が映し出されているように感じた。

Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)

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そうした小林の心の揺れを映すように、ショーは終盤に差し掛かるとそれまでの無邪気な海の景色は少しずつ表情を変えていく。淡い色彩の中に黒いレースや荒く編まれたダメージニットが入り込み、会場に響くアーティスト「ん・フェニ」の生演奏も、それに呼応するように次第に不穏さを増していった。まだ見ぬ地上を無邪気に思い描いていた人魚の世界に、やがて知ることになる現実の気配が忍び込む。
そしてフィナーレでは、一人のモデルが履いていた靴を脱ぎ、自らの足で歩き出した。原作の人魚姫にとって、人間の足を得ることは地上への憧れを叶える一方、一歩踏み出すたびに激痛を伴うものでもある。小林はこの演出について、「靴を脱ぐことで自由になれた一方で、痛みも得た様子を描いた」と話す。

ん・フェニの演奏風景
Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)

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半年前、筆者にはユウショウコバヤシが順風満帆に新しい場所へと進んでいるように見えていた。しかしその裏側には、外の世界を知ったからこそ生まれた迷いや痛みがあったのだろう。だからこそ印象的だったのが、最後に人魚が靴を脱いだことだ。地上へ行くために手に入れたはずのものを脱ぎ捨て、それでも海へ戻ることなく、自らの足で歩き続ける。その姿は、地上に合わせて自分を作り変えるのではなく、自分なりの方法でその先へ進もうとする意思表示のようにも見えた。
振り返れば、今季のコレクションにはその意思が随所に表れていたように思う。ダンボールとガムテープで作った海、輪郭からはみ出すように色を重ねた塗り絵、拾い集めたようなレースやビーズ、子どもの工作を思わせる不格好なモチーフ。より大きな舞台へと進みながらも、そこに並んでいたのは、完成度を高めて“世間”に合わせたユウショウコバヤシではなく、むしろこれまで大切にしてきた拙さや無邪気さを、これまで以上に露わにした服だった。
「私は何と引き換えに、地上に上がれるのだろうか」。その問いへの答えは、まだ出ていないのかもしれない。それでも、何かを手放さなければ地上へ行けないとは限らない。海の底で育ててきたものを抱えたまま、自分たちなりの方法で地上を歩くこともできる。靴を脱いだ人魚の姿に、そんなユウショウコバヤシのこれからを重ねずにはいられなかった。
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