
4K[sik] 河村充倫 代表
Image by: FASHIONSNAP

4K[sik] 河村充倫 代表
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日本のファッション業界の縁の下の力持ちとして活動を続けてきたファッションPR&ホールセール「4K[sik]」が、今年で設立20周年を迎えた。PR、マーケティング、セールスまで幅広く事業を展開する同社は「ダイリク(DAIRIKU)」や「シュガーヒル(SUGARHILL)」「フミエタナカ(FUMIE TANAKA)」などのデザイナーズブランドにはじまり、「KEEN(キーン)」や「ホカ®(HOKA®)」などのフットウェアを中心に展開するブランド、「ティンバーランド(Timberland)」「ラングラー(Wrangler)」「オークリー(OAKLEY)」「リモワ(RIMOWA)」といったグローバルブランドまで約40ブランドをクライアントに持つ人気のショールームだ。
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代表の河村充倫氏は、いまのファッションビジネスを「ボクシングではなくプロレスでありたい」と語る。デジタル全盛の時代にあえて「好き」と「執着」、そして肉体性を掲げるその哲学と、第一次産業まで見据えたこれからのヴィジョンとは。
4K[sik] シック(株式会社GMPC)
国内のインディペンデントなデザイナーズブランドから、 歴史あるグローバルブランドまで幅広いクライアントの国内でのコミュニケーションを軸とした、プロモーション企画と実施を担うエージェント。 代官山の本社には、Showroomスペースの他に、アートスタジオ「STUDIO 4N」と、2024年にランニング&サイクリングステーション「FO Sports Club」を併設。「FO Sports Club」では、近隣を巻き込んだ"代官山ランニング"を展開中。
河村充倫
1977年、福井県生まれ。 デイトナインターナショナルから、CANNABIS、HIRAO PRESSを経て、独立。 4K[sik]ディレクターとして20年。トライアスリートとして2年目、農家見習いとして半年。
ヒラオプレスから独立して創業、ルメールとの出会いが分岐点。Hypebeast.jp立ち上げも
──4K[sik]は今年創立20周年を迎えましたが、そもそも立ち上げに至った経緯から教えていただけますか?
HIRAO PRESS(現HiRAO INC)でPRの経験を積ませてもらい、その後独立しました。僕と松井(ワンオー代表の松井智則氏)がHIRAOに所属していて、当時半分一緒に住んでいたんですが、その時に飼っていた猫の名前が「シック」で。いつか「シック」っていう名前の会社を2人でやろうぜって話していたんです。
そうこうしていたら、松井が平尾さん(HiRAO INC代表の平尾香世子氏)に「河村を独立させてほしい」と話してくれて。一度に2人辞めるのはまずいから、自分は一旦残ると。それで僕が先に独立したんですが、気づくと松井がこっちに来る前に平尾さん自身が独立してHiRAO INCを立ち上げた。それで、平尾さんがいなくなったHIRAO PRESSを松井が引き継いでPR01.にして、結局彼はうちには来ずに、バイアウトして現在のワンオーを束ねているという流れです。

原宿にあった4K[sik]のショールーム
──まさに日本のアタッシュドプレスの歴史ですね。当初はどのようなブランドを扱っていたのでしょうか?
HIRAO PRESSで取り扱っていたブランドは、ウィメンズでモードっぽいヨーロッパの流れが強かったんですが、僕はセレクトショップの「カンナビス(CANNABIS)」で働いていたこともあって、ドメスティックのメンズブランドの応援団みたいな仕事の方が腑に落ちた。なので、そういったブランドをクライアントとして独立しました。立ち上げ時には、「イズネス(is-ness)」や「ミロック([Milok])」など、なんだかんだ12〜13ブランドはありましたね。



代官山にある現在の4K[sik]ショールーム
──20年間で最も大きなターニングポイントは何でしたか?
クリストフ・ルメール(Christophe Lemaire)が「ルメール(LEMAIRE)」を復活させた際に、PRとセールスのディストリビューションを担当していて、彼の推薦もあり、当時彼がクリエイティブディレクターをしていた「ラコステ(LACOSTE)」の国内PRを担当することになったことですかね。続けざまに、「アディダス オリジナルス(adidas Originals)」ともPR契約を締結できました。当時は、外部のショールームにPR業務を委託するということが、まだ業界として珍しい時代。それまではドメスティックメンズブランドをデザイナーと共に盛り上げていくような動きしか経験してなかったので、業務内容が新鮮だった一方、資料作りやプレゼンが増えて、本当に忙しかった思い出があります。でも、めちゃくちゃ楽しくて、そこで初めてマーケティングとは何か、ブランドビジネスとは何かということを学び、経験できた。例えば、アディダス オリジナルスからはゴールと予算を渡されて、それを達成するための戦略と戦術をプレゼンするんです。しかもピッチ(競合プレゼン)で。広告代理店が作ってくるような論理的な戦略資料に触れたのも初めてで、今まで「かっこいい」とか「イケてる」という感覚だけでやってきた自分にとってはいい経験になりました。その経験が今のクライアントの幅に繋がっているのは間違いないです。

クリストフ・ルメールと打ち合わせをした当時の様子
──当時はまだSNSが普及していない時代ですが、ゴール(目標)はどのように設定されていたんですか?
短期と長期のゴール設定がありました。短期はシンプルに売上ですね。何万足売るかとか、売上を何パーセント上げたいとか、新規来店者数をこれくらい増やしたいとか。当時アディダス オリジナルスから課されたタスクは新しいファンを獲得することでした。ブランドイメージが停滞してしまっていたので、高感度な若者からの認知を高めたい、と。当時は「リーチ」という測定法がなかったので、売上や来店者数、あとはバイヤーのオーダー数などで測っていました。それが2006年くらいですね。
──その時、河村さんはまだ20代ですよね。
28歳か29歳ぐらいですね。当時は、タンクトップに海パンで神楽坂のミーティングルームに行っていたので、「とんでもねえやつがいる」と思われていたらしいです(笑)。

──2006年にはホールセール(卸営業)事業をスタート。その後「キーン(KEEN)」と契約し、アウトドア領域に参入したのも大きな出来事だったかと思います。
そうですね。オファーがあったのは、アディダス オリジナルスやラコステで大きな企業との仕事のやり方を一通り理解した次のタイミングでした。当時、キーン・ジャパンはまだ設立されたばかりの小さな会社だったんですが、製品のMD(マーチャンダイジング)、卸、PRという3つの側面で深く関わらせてもらえて。特にオープンエアスニーカー「UNEEK」というモデルは、プロダクトの卸からクリエイティブ、PRまで、グローバルも含めて我々日本側で主導させてもらいました。それまではグローバルに承認をもらってローカルで施策をやる、という形だったのが、「アジアのカルチャー・リテラシー・カントリーである日本がクリエイティブや売り方を教えるよ」というスタンスでやらせてもらえた。商品開発の最初から最後まで関われたのは大きな経験でしたね。「UNEEK」もしっかり市場に認知されるところまで持っていけました。

ショールームに展示されたキーンの「UNEEK」
──「UNEEK」が流行ったきっかけの一端を担ったのが4K[sik]だとは知りませんでした。「ハイプビースト(HYPEBEAST)」のディストリビューションを担当していたと聞きましたが、具体的にどのような取り組みだったのでしょうか?
元々うちにいて、今はセールスエージェントのELIGHT Inc.をやっている伊藤貴啓が、ハイプビーストのファウンダーとパイプがあって。彼らが日本版を立ち上げたいと言ってきたので、うちが受け皿になって「Hypebeast.jp」を立ち上げました。伊藤がマネージングエディターのようなことをやって、人も雇って翻訳記事だけじゃなく日本独自の記事を作ったりもしましたね。あと「Hypebeast.jp」という名前で書籍も作ったり。それを普通の書籍コードで卸すんじゃなくて、うちが取り引きしていたセレクトショップにオーダーしてもらい、お店で売っていました。その後、伊藤が4K[sik]を辞めて独立する時にその事業を持っていき、さらにそこからまた独立して、今のHypebeast Japanという会社になったという流れです。


──ここまで聞いただけでも4K[sik]の事業は多岐に渡りますが、組織としてはどのような体制なのでしょうか?
以前はPRと卸で部署を分けていたりもしたんですが、最近そうした部署分けを全部やめました。というのも、クライアントから「全部担当してほしい」と言われたら、担当者は全部やれるようになるしかない。4K[sik]には、僕の他に佐藤(佐藤宏憲)や渡辺(渡辺高)といった経験豊富なおっちゃんチームがいるから、若手たちには「できないけどやります」と言うようにさせています。英語が喋れないから無理です、とかは知らない(笑)。クライアントの窓口としても、全体を包括的に分かっている人が一人いる方がいいと思うんです。

アディダス オリジナルスのイベントの様子
大事なのは忘年会のカラオケでみんなと同じテンションで歌えるか
──新進気鋭からラグジュアリーまで、多くのブランドから選ばれ続ける要因は何だとお考えですか?
クライアントごとにビジネスの規模感は大きく違いますが、うちに共通して求められるのは「日本のマーケットのティア0やティア1(※)に対してブランドの認知を広げたい」ということです。そのターゲットの細分化された趣向を持つコミュニティに対して、仲間をつくることにカロリーを使ってきた、その賜物だと考えています。
インディペンデントなファッションブランドのPRからスタートしたのが大きいかもしれませんが、軸にあるのは、デザイナーやアーティストといった表現者が生んだプロダクトへの共感です。それを自分なりに、自分の仲間とタッグを組んで広めていく。ただそれだけなんです。グローバルブランドに対しては、製品MD、卸、マーケティングといった各部署を横断する戦略を提案し、ブランドチームとして同じ認識でビジネスを推進させる。一方、デザイナーズブランドに対しては、まずデザイナーに共感し、それを同世代の「イケてる」と思う人たちに勧めて共感してもらう、というルーティンを徹底的にやってもらっています。
※ティア0、ティア1:顧客層や卸先などを階層で分けた際の最上位層。ファッション感度が高く、業界内で影響力を持つセレクトショップや人々を指す。


代官山にあるショールームの横には、「FO Sports Club」が併設。
──現在の社員数は?
13人です。15人以下にはしておきたくて、20人になると、一体感がなくなる気がするというか。僕のやり方だと、そのくらいの規模が限界ですね(笑)。
──部下に対して細かい指示はあまりされない?
精神論みたいなことばっかり言ってる、めんどくさい上司だと思いますよ(笑)。僕が説教するのは基本的にスタンスの部分だけ。クライアントビジネスをやっている以上、できるやつに仕事がどんどん来る。だから自分のキャパを上げてチームを作るしかない。気合いというか、「やりたいです」っていう前のめりな姿勢がないとワークしないんです。僕らの仕事はサービス業としてホストクラブと一緒だと思っているので、「俺をつけてくださいよ」っていう気概がないとダメ。常にスポンジみたいに空っぽの状態でいてほしいんです。なので、僕がやっていることのほとんどは、チームメンバーの精神的・情緒的な状態のチェックです。「夢中になれているか」「人間関係のストレスはないか」とか。それが仕事の8割ぐらいですね。

パリの合同展示会「MAN」のディストリビューターも4K[sik]が担当。東京で「MAN TOKYO」を開催した。
──「4K[sik]らしさ」とは何でしょうか?
「好きでは負けないでいよう!」とチームには定期的に喝を入れています。この仕事が、担当するブランドが、この製品が好きだという気持ちで負けるな、と。僕も含めて、うちのメンバーは一般的な企業に所属できるようなタイプじゃない。だから勝負できることとして、クライアントの仕事を通して、その製品への執着(好き)を自分なりの方法で高めていくしかないんです。それを積み重ねるうちに、この業界が自分の生きる道なんだってある種“勘違い”していく。そんな青春感が社風としてあります。僕がいるうちは、このオールドスクールなスタイルを貫こうと思っています(笑)。
──優秀な人材を採用・育成するために、河村さんが最も重視する資質は何ですか?
明確な判断基準があって、それは忘年会のカラオケでみんなと同じテンションで歌えるか、盛り上がれるかです。それと、朝のトイレ掃除をちゃんとできるか。みんなで一体となって一つのことに集中するモードに無理なく入れるかどうかが大事で、そこで自分を出せるか、どんなことにもマジになれるか、を重視します。これは協調性があるとかじゃなくて、そのメンバーに対してどれだけ素を出せるか、という意味ですね。
ボクシングではなくプロレスを
──直近では、アートスタジオ「STUDIO 4N」やランニング&サイクリングステーション「FO Sports Club」といった新しい取り組みをスタート。なぜそうした場を作ろうと?
自分たちのメディアが欲しかった、という思いからです。僕らは作り手とショップ、メディアを媒介する存在ですけど、お客さんと直接交流できる場所を持ちたいと考えていましたし、出版業界が落ち込んでいく中で、どうやって発信していくかという課題もありました。インフルエンサーがメディアになったこの時代において、僕らは「場所」や「イベント」をメディアにしたいなと思ったんです。ランニング&サイクリングステーションというメディアに来てくれる人たちが、僕らの発信者になる。リーチは少ないですけど、対面でちゃんと伝えられていると思います。

4K[sik]が運営するアートスタジオ「STUDIO 4N」。アーティストの個展や、自主企画展を開催している。





「FO Sports Club」で開催された"代官山ランニング"の様子。
──SNSやインフルエンサーなどデジタルが全盛の時代ですが、この波をどう捉えていますか?
3.11とコロナ禍で会社の売上がダメージを受けた時に、このことについてチームで話し合いました。雑誌「DUNE」の林さん(林文浩氏)に「文化ってカウンターだから」と教えられてきた僕らにとっては、「ECやってません、対面販売のみです」「SNSやってません、現場に来てください」というのも一つのプランだよね、と。それぞれのクライアントが提供するサービスのストーリーに沿って、自分を主語にして選択すればいい、という結論になりました。デジタルツールは確かに社会を便利にしたけど、人々があまり深く考えなくなるよう促し、本来必要のないものまで買わせやすくしてしまった。デジタル広告は効率的ですけど、主語が機械ベースになっている。でも僕らはクライアントを主語にしたい。僕ら文化・スポーツ・芸術領域の人間は、カウンターを当て続ける必要があり、ツールは発達したといえど事業における本質はそんなに変わってないんですよ。だからこれまでと変わらず、信頼できる仲間との繋がりこそが、僕らエージェンシーの価値だと思っています。
あと、SNSを見て他人の活躍とかにマジになっちゃうタイプのクリエイターには、「見ないほうがいいし、やめたほうがいい」ってアドバイスしています。僕もハートが弱いんでやってません(笑)。
──河村さんが考える「良いファッションビジネス」とはどのようなものでしょうか?
今、ファッションに限らず、ビジネスがつくものは売上規模という一つの物差しで良し悪しが決められ、すごくボクシングっぽい。でも20年やってきて思うのは、プロレスをしないと、ということで。プロレスは、ファンと演者が一体となって作り上げていくエンターテインメント。リング上での罵倒や反則も、本気だけどショーを盛り上げるための要素で、最終的には喜劇でハッピーになる。4K[sik]でやっているビジネスは、人と向き合い、作り上げるプロレスのようなエンタメでありたいんです。

ショールームに並ぶリモワのスーツケースやバッグ

ショールームにはティンバーランドなどのシューズもずらり
──ステークホルダーを皆巻き込むエンタメ性、いいですね。
例えば大仁田厚さんって10回以上引退・復帰を繰り返しているわけですけど、みんな「どうせまた復活する」って分かっているのに、引退宣言の時は本気で号泣する。それはヤラセじゃなくて、客も一緒に作っているマジな空間なんです。
1980~90年代のファッション業界も同じです。セレクトショップ連合、海外モード信奉者、アメカジ古着組、裏原宿チーム、ドメスティックの新進気鋭組などが、それぞれ「自分たちが一番イケてる」と本気で思っていた。服装も音楽も遊び場も分かれていて、会えば話すけれど一線は引いていた。当時の会話には「どこが売れているか」という話題はあまりなく、各自の勝手な物差しで「好き」「嫌い」「ダサい」といった、決着のつかない論争を夜な夜なしていたんですよ。
結果として、各ジャンルが同じパイを取り合うのではなく、プライドを持って競い合ったことで、業界全体のマーケットが成熟して大きくなった。不良でバカな若者の就職先としても、懐が深かったと思うし、イケてたと思う。だからそこに飛び込みたくて、僕自身東京に来たわけです。
そういった思いから、各自の物差しで「好き」「嫌い」を語り合える、プロレス的な状況が理想なんですよ。「あそこのブランドは本気でバカやっててすごい」といった、売上以外のさまざまな基準で評価し合いたいんです。

──なぜ昔のような「これ、イケてんだよ」という熱い議論がなくなり、「あそこは売れてる」といったお金の話ばかりになったんだと思いますか?
大きいのはスマホじゃないですかね。デジタルコミュニケーションによって、傷つかないギリギリの距離感の知り合いをたくさん作れるようになった一方、ストレス耐性は低くなってしまった。かけたカロリーが低いほど、モノや人に対する思い入れも低くなる。だから「好き」っていう言葉の重みも世代によって違うんじゃないかなと。うちの若いメンバーには「お前らの好きは1ミリも信用してねえ」って言ってます(笑)。僕らの世代の「好き」とは、覚悟の重みが違うと思うので。
──これから業界を目指す若者に求められる資質とは?
最終的に「執着」が生まれてくれたら、それでいい。ファッション業界を目指してくれる人はみんな貴重な宝なので、能力なんて何もない人も、何かある人も全員OKな世界です。むしろ勤勉で偏差値が高い人は来ないほうがいい(笑)。高学歴なロックミュージシャンとか、東大卒のレスラーとかって、すっと入っていけない感覚があるじゃないですか。それと同じです。
──20周年を迎え、会社としての次の目標、そして河村さん個人の挑戦についてお聞かせください。
会社としては、第一次産業とファッションを繋げたいと本気で思っています。例えば、月の半分は大自然で、土を耕したり、飯を作ったり、自然と向き合う時間にする。残りの半分で東京で人と接する仕事をする。そういう働き方ができれば、これからの若い世代も精神的に弱まらずに、健康な肉体を維持できるんじゃないかと。AIが普及したこの時代において、求められるのは「肉体勝負」。心も体も健康なチームが勝つと思っています。
個人的な挑戦としても、農業を生活のルーティンに組み込んでいきたいです。ここ数年で取材した次世代農家の人たちを見ていると、かつての面白かったファッション業界が第一次産業で再現されるんじゃないか、という妄想があって。まず僕個人から始めて、会社ごと繋げていけたら最高に嬉しいですね。
クライアントも人間関係で動いていることがほとんどなので、僕らはこの先10年、もっと「バカの、バカによる、バカのためのレース」を繰り広げていきたい。心も体も健康で、仲がいい。それだけで勝てると思っています。そしてこの業界が「楽しそうでいいですね」って言われるような場所であってほしい。社会に必要ない仕事かもしれないけど、チャラチャラしてて楽しそうでいることが、最高の賛辞だと思っていますから。
退職した元スタッフたちからの4K[sik]20周年お祝いメッセージ

CCU デザイナー 金子翼
学生時代に4K[sik]でインターンをしてから、気づけばもう十数年。当時から全くブレない河村さんの仕事スタイル、本当にリスペクトしています。特にCCUを立ち上げた時、「PRはうちでやるよね?」って声をかけてもらえたのは、今思い出しても最高に嬉しかったです。あの時の一言、めちゃくちゃ感謝してます。

株式会社I am 代表 安部健二(Name.、refomed、BOHYA を運営)
学生時代にインターンとして4K[sik]でお世話になりました。初めて目にしたアパレル業界の現場は、すべてが新鮮で、強く憧れたことを今でも覚えています。当時は少しおかしな格好をしていましたが、4K[sik]の先輩方の姿に影響を受け、服装や意識も自然と変わっていきました。河村さんが冗談のように話されていた言葉は、今では自分の大切な指針となり、スタッフにもよく伝えています

Cornet 店主 一丸りさ
20周年おめでとうございます!モノ・コトをたくさん学ばせていただきました。

tokimormor デザイナー 西岡都貴子
大学生の時に、展示会で見かけた河村さんに、 勇気を出して「働かせて下さい!」って話しかけた日が懐かしいです。4K[sik]でインターンから社員にさせてもらって、色んな出合いや経験・たくさんの思い出が今に繋がっています。20周年おめでとうございます!

PR エージェント「アイハイト」代表/トラベルライフスタイルメディア「PAPERSKY」プロデューサー 堀内明
仕事を一つの人生と捉えるなら、4K[sik]にいた 2年間はまさに「青春」の1ページ。兄弟のような仲間たちと過ごした楽しく居心地の良い時間と、常に背伸びをしながら仕事をしていた試行錯誤の日々は、甘酸っぱい記憶として心のずっと奥の方にしまっています(笑)。

トップヘアスタイリスト Ryunoshin Tomoyose
2015年7月入社だったと今廃りきっているFacebookが教えてくれました。あの時はPR会社2社目でイケイケの原宿ノンケ男会社だと紹介されて入り、ゲイの社員は今まで居なかったのか物珍しそうに色々セクハラな質問をされたのを今でも覚えております。それから”私が”LGBTQ教育を他社員にもし、今では恥のない対応が出来る大人になった(はず?)と思っております。代表河村と共に色々な人が切磋琢磨して成長し、させてくれた4K[sik]に居たことを今でも誇りに思います。20周年おめでとうございます。

POULSOFFICE INC. 代表 ハリイ美江子
4K[sik]、20周年おめでとうございます!私が在籍していたのはもう15年ほど前になります。当時、末っ子社員だった伊藤くん(ELIGHT Inc.代表)の結婚式で、カワム(河村ディレクター)が司会を務めました。本番前は、式そのものよりも彼の緊張のほうが心配で、社員一同そわそわしていたのをよく覚えています。そんな中、式の進行表にもない“おもしろ乾杯”を突然やり出し、金田さんが思わぬ“被害者”になったこともありました。あの頃、カワム率いる4K[sik]では、どんなことも面白がり、困難さえ楽しみに変えて仲間と乗り越える——そんな貴重な経験と財産をいただきました。今、フリーランスとしてさまざまなクライアントと向き合う中で、「仲間」として同じ温度で走れるモチベーションづくりができているのは、まさに4K[sik]での経験があったからこそだと感じています。

株式会社 TOKO 代表取締役/渋谷未来デザイン プロデューサー三浦あゆみ
「女の子のどこにときめく?」という取材を河村が受けているのを隣で見ていた時、「女の子のひげの産毛です」と照れながら答え、甘えた顔で写真を撮られている河村に悲鳴を堪えて怯えたのを覚えています。誰が言い出したのか、「誰が一番勉強できるんだ?」となぜか社員全員で中学学科テスト的なものを受け、全員一列になりスコア発表を聞いたのも忘れられない不思議な思い出です。髪を切るたびにテッシー(株式会社 SOMOS FAMILIA Sampledelica 代表)を褒めていたら、本気でテッシーに怒られたのも「褒めすぎちゃいけない」という人生の学びになりました。今の時代だとハラスメントになるような珍事件が毎日ある4K[sik]が刺激的であり、あそこで過ごせた時間は宝物です。4K[sik]大好きです。20周年おめでとうございます。

株式会社 SOMOS FAMILIA Sampledelica 代表 手島大介
会社設立当初から約6年という時間を共に過ごさせてもらいましたが、振り返ると、本当に手探りの連続だったなと、今になって強く感じます。 正解なんて誰も知らない中で、黒歴史と呼べる出来事も、誇るべき瞬間も、すべてが同時進行で転がっていたあの時間は、間違いなく"生きている業界"の真っ只中でした。外注ビジネスがようやく芽吹きはじめた時代、ファッション業界全体の熱量は、今思えばピークに近かったと思います。スピード感、混沌、無理、無茶、そして希望。あの空気の中で仕事ができたこと自体が、自分にとっての財産です。淘汰されるスピードが加速し、何が正解かも、どこまで続くのかも見えない時代ですが、どうかあの頃の熱量を失わず、次の世代へ繋がる新しいビジネスモデルを作り続けてください。事実上クビになった自分ですが、改めて、20周年おめでとうございます。

rajabrooke デザイナー 牛田祐輔
4K[sik]に拾ってもらったおかげで今があります。本当にありがとうございました。20周年おめでとうございます。

株式会社ご機嫌 代表取締役社長 今井洋一
4K[sik]20周年おめでとうございます。4K[sik]での2007年から2013年までの6年間を思い返すと、"冒険航海"のような日々だった気がします。 河村充倫というカリスマ的なキャプテンがいて、そのキャプテンが目指す未来に向かって、 スタッフみんなでワイワイとがむしゃらに漕ぎ出していく。そんな4K[sik]の第二幕的な時期を共に過ごすことができました。一つの会社が20年継続することは本当に大変なことだと思います。20周年を迎え、今は第何幕まで到達したのでしょう。きっと時代の変化に寄り添い、あらがいながら、これからも4Kは進化し続け、新しい未来に向かっていくはずです。今後も信州の地から、4Kの"仲間"たちの航海を、ご機嫌に見守っていきたいと思います。

ELIGHT Inc. 代表取締役 伊藤貴啓
自由と責任を与えてもらいました。個性豊かな面々に囲まれ、色んなことに挑戦させてもらった4K[sik]で過ごした5年間が今の自分の礎になっています。毎日よく働き、よく飲み、よく遊びました。口座は常にギリギリでも経験値の貯まり方がすごかった。その貯蓄が今に繋がっています。展示会前に頭を丸める不思議な儀式も、先輩たちのケンカの仲裁も、今となっては良い思い出です。20年の歴史の一端を担えたことを誇らしく思います。おめでとうございます。

Tautology Inc. 金田知之
創立20周年、誠におめでとうございます。十数年前、キャリアに悩んでいた私に声をかけていただいたことを、今でもよく覚えています。入社後は、インハウスのセールスしか経験のなかった私に、専門外も含めさまざまな仕事に挑戦する機会を与えていただきました。その約9年間は、私のキャリアの中でも大きな成長につながる貴重な時間でした。退社した今でも、一緒に仕事ができたり、お酒を酌み交わせたりできることは、私にとって大きな財産です。これからも変わらずお付き合いいただけましたら幸いです。次の10年も、さらなる飛躍の年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

Tautology Inc. 松井明日香
20周年、誠におめでとうございます。私はPR スタッフではなく、wholesaleの立場で在籍しておりましたが、入社当時は未経験で何もわからない状況からのスタートでした。決して甘くない環境ではありましたが、人情のある会社で、多くの学びがあり、その経験が今も生かされております。在籍中は貴重な経験をさせていただき、心より感謝しております。これからも変わらず、多くのクライアント・ブランドに必要とされる存在であり続けてほしいと思います。今後のさらなるご発展を心よりお祈り申し上げます
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