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【連載ふくびと】デザイナー島田順子 第5話——学びは宝 「キャシャレル」へ

小湊千恵美

第4話からつづく——

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 1970年、パリの最先端を走っていたクリエイティブ集団「マフィア」に飛び込んだ島田順子。素材、色、デザインと、あらゆるクリエイションに携わり培った感性が、後のデザイナー人生に影響を及ぼすことになる。大きな学びを経て、ファッションブランド「キャシャレル(Cacharel)」へ。私生活も活気に満ちていたが、そこで転機が訪れる。——「ジュンコ シマダ」のデザイナー島田順子が半生を振り返る、連載「ふくびと」第5話

水を得た魚のように

 「マフィア」は私にとって、学校だったわね。お金を出してでも学びたい場所。マイメ・アルノダンとドニーズ・ファイヨールのカップルが共同代表を務めていて、マイメは男勝りの営業力でとても強い人。ドニーズはすごく頭が切れる、厳しいけれど素敵な人でした。

マフィアの代表で、元「ジャルダン・デ・モード」編集長のマイメ・アルノダンとともに Courtesy of Junko Shimada

 私はもともと勉強に身が入らない劣等生だったけれど、好きなことだと夢中になって寝るのも忘れるほど、一生懸命に学ぼうとするから不思議なものね。まるで、水を得た魚みたいだった。

 覚えているのが、水着の素材の開発。色ひとつをとっても、どう混ぜ合わせるのか、どんな素材と相性が良いのかと、研究室の科学者のような世界に見えたんです。何にしても、ただ知識だけを身につけるのではなく、実践なのよね。それとやっぱり、教えてくれる人に対して、ありがとうという感謝の気持ちが大事。うぬぼれず、謙虚でいないといけない。そうすれば人は、心を開いて大切なことを教えてくれる。本当に、マフィアでの学びは自分の宝になりました。

若いスピリットの服作りができたら

 ある時、マフィアが「キャシャレル」と仕事をすることになり、それをきっかけに「キャシャレルに来ないか」と言われたんです。でもね、当時のキャシャレルのファッションが、あまり好きではなかったの。なので、「60年代のキャシャレルのような、若いスピリットの服作りができたら」と伝えたら、それが実現することになった。

 キャシャレルでは、若者向けの「フィキプシ(Fikipsi)」というラインを担当しました。名前の由来は、ギリシャ語アルファベットの最後から2番目までの三文字、Φ(フィ)・Χ(キー)・Ψ(プシー)。そして後に、メンズやキッズウェアも手掛けることになったんです。

キャシャレル時代 Courtesy of Junko Shimada

恋人との旅、人生の転機へ

 素敵な人に出会って、忘れられない恋愛もしました。一度、キャシャレルの仕事を辞めて、恋人と長い旅をしたんです。東南アジアを巡って、日本を経由し、サンフランシスコへ行こうという計画。アメリカで、この目で見たかったのは「リーバイス(Levi’s®)」ね。たくさんの人に向けた普遍的な服に憧れていたから。でも、日本に着いた時に疲れが出ちゃって、旅は中断。

 パリに戻ったら、小切手が届いていました。キャシャレルで手掛けた服がよく売れたようだったの。それでキャシャレルに戻り、本格的に働き始めた。でもその後、妊娠していることがわかったんです。——第6話につづく

【毎日更新】第6話「どん底から『ジュンコ シマダ』デビュー」は、8月10日に公開します。

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