
第2話からつづく——
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高度経済成長の真っ只中だった1966年。観光目的の海外渡航が自由化したばかりの時代に、25歳の島田順子は単身パリに渡る。銀幕の中で焦がれ続けた街は、想像以上に美しく、刺激に満ちていた。当初は3ヶ月の滞在予定だったが、語学学校に通いながら下宿生活を始め、気づけば1年以上に。大使館の紹介で暮らしたのは、コメディ・フランセーズの元女優が住む邸宅。生きたフランス語だけではなく、文化や美意識に触れた。——「ジュンコ シマダ」のデザイナー島田順子が半生を振り返る、連載「ふくびと」第3話
憧れのフランスへ
フリーで仕事をしていたある日、親戚の女性から「モスクワ経由でパリに行かないか」と誘われました。映画に夢中になり、いつか行ってみたいと憧れ続けていた街。どうにかして行きたくて、両親に相談することにしました。
実はこの時、私には婚約者がいたんです。とても良い人だったけれど、本当は結婚に乗り気ではなかった。パリに行けば、婚約のことは流れるかもしれない。でも・・・。
そんな私の背中を押してくれたのが父でした。いつも私の応援団長だった父は、パリ行きに反対するどころか二つ返事で「行ってこい」と背中を押してくれて、旅費まで工面してくれたんです。今振り返ると、あの時に結婚ではなくパリを選んで、本当に良かったのだと思う。
ところが出発直前になって、一緒に行くはずだった女性が渡航できなくなってしまったの。不安だったけれど、行くしかない。一人で船と電車、飛行機を乗り継いで、パリを目指しました。
その時代、海外に持ち出せるお金の上限は500ドル(当時のレートで約18万円)。盗まれたら一大事だから、お札をストッキングに入れて、お腹に巻き付けていたのよ。

渡仏後、20代の頃 Courtesy of Junko Shimada
パリジェンヌの衝撃
初めてパリの街に降り立った瞬間の感動は、今でも忘れられません。凱旋門やシャンゼリゼ通り、老舗カフェ「フーケ(FOUQUET'S)」の赤いひさし。ベレー帽を被ったパリジャンたち。映画で観ていた憧れの世界が、そのまま目の前に広がっていたわ。

せっかくパリに来たのだから、この街を隅々まで見てみたい。なので地下鉄にはほとんど乗りませんでした。毎日のように街を歩き回り、映画館に行き、美術館を巡って。何を見ても新鮮で、ただ歩いているだけで楽しかった。世間知らずな田舎娘にとって、憧れの地ではカルチャーショックの連続。
当時の日本では、シャーベットカラーのファッションにベージュ系のメイク、「コパトーン」のサンオイルで焼いた肌が流行していました。みんな同じような服を着て、同じような顔をしているように感じていたんです。
でも、パリの女性たちは違いました。まず、化粧をほとんどしていないの。ファッションもこれみよがしではなく、すっきりと素朴なのにとても美しい。髪型やファッションにその人らしいスタイルを持った、魅力的な女性たちの姿がありました。「洗練」とは、余分なものを削ることであか抜けたスタイルであることを、パリジェンヌたちが教えてくれた。この美意識は、今でもずっと大切にしています。
下宿先のマダムが教えてくれたこと
もともと3ヶ月の滞在のつもりが、あっという間に半年。父が持たせてくれた大金も底をつきそうで、いつまでも旅行者気分ではいられません。働き口や下宿先を探すことにしました。
部屋の掃除やベビーシッターと引き換えに、屋根裏部屋に住まわせてくれる求人案内を見つけて、すぐに応募。語学学校にも通い始めて、少しずつパリで暮らす準備を始めました。
その後、下宿することになった16区のブローニュの森の近くにある邸宅は、忘れられないわ。確か、日本大使館の紹介だったかしら。オーナーのマダムは、フランスを代表する劇団コメディ・フランセーズの元女優。そのお母さまはオペラ歌手で、さらに恋人は当時ヨーロッパ社交界で知られたアガ・カーン(※)だったというから驚きしょう? まるで映画の中の世界でした。
※アガ・カーン=イスラム教シーア派イスマーイール派の宗教指導者の称号。20世紀にはヨーロッパ社交界の著名人としても知られた。
中国の真っ赤な刺繍のカーテンが1階から3階まで続いていて、つづらを開ければ豹の毛皮が出てくる。壁には、アフリカの仮面がずらり。アフリカやアジアの文化が混ざり合った、とても不思議な空間。夕方になるとシャンパンを開けて、レコードで「ボレロ」をかけて。マダムは決して裕福ではなかったけれど、夢みたいな生活だったわね。

島田順子、現在のフランスの住まい。パリ郊外、フォンテーヌ=ブローにある本宅
Image by: Koji Hirano

Image by: Koji Hirano
語学学校で学んだことよりも、本当に多くのことを教えてくれたのは、この家での暮らしでした。マダムに細かい発音を直してもらったり、5月1日に大切な人へスズランを贈るという素敵な習慣を知ったりね。ホテルに泊まっていただけでは、決して出合えなかったことばかりです。
あれは百貨店の面接に行った日だったかな。帰ったら、マダムがケーキを用意してくれていて、「お祝いよ」って。小さなケーキを半分に分けて食べたのが、家族のようで嬉しかった。
一人ぼっちで寂しくて泣いた日も、もちろんあったわよ。それ以上に、幸運な出会いや楽しい思い出の方がずっと多かった。気が付けば、パリでの生活は1年以上になっていました。——第4話へつづく
【毎日更新】第4話「大切な友人、賢ちゃんと一生さん」は、8月6日に公開します。
最終更新日:
【連載ふくびと】デザイナー 島田順子 全10話
第1話—糸を紡ぐ祖母と趣味人の父
第2話—学校よりもフランス映画に夢中
第3話—単身パリへ、ショックの連続
第4話—大切な友人、賢ちゃんと一生さん
第5話—学びは宝 「キャシャレル」へ
第6話—どん底から「ジュンコ シマダ」デビュー
第7話—必死で守りたかったもの
第8話—フランスに2つの家 結婚
第9話—愛される服を作りたい
第10話—「ジュンコ シマダ」45周年 みんなが幸せになるために
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