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【連載ふくびと】デザイナー島田順子 第4話——大切な友人、賢ちゃんと一生さん

一井智香子編集小湊千恵美

第3話からつづく——

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 五月革命やベトナム戦争の影響で揺れていた1960年代後半のフランス。パリで本格的に仕事をしたいと考えていた島田順子は、行きつけのカフェで偶然知り合った新聞記者たちの紹介をきっかけに、1970年から百貨店オー・プランタンの研究所で働き始める。そして髙田賢三や三宅一生といった、後に世界を舞台に活躍する魅力的な友人たちとの出会いは、パリでの日常に彩りと安らぎを与えてくれた。——「ジュンコ シマダ」のデザイナー島田順子が半生を振り返る、連載「ふくびと」第4話

不思議な縁 オー・プランタンへ

 一度、日本に帰国したものの、もう一度お金を貯めて渡仏しました。やっぱり、パリが忘れられなかったのね。その時代は、ベトナム戦争の真っ最中。フランスでも学生運動やストライキが起こっていたわ。世の中は不安定だったけれど、私はパリでの暮らしに慣れてきて、もっと仕事をしたいという気持ちが強くなっていました。

 ある日、よく一人で通っていた近所のカフェでたまたま会ったUPI(=United Press Internationalアメリカの通信社)の記者たちに、有名な百貨店「オー・プランタン」のチーフを紹介してもらったの。不思議な縁ね。そこから話が進んで、オー・プランタンの研究所で働き始めることになったんです。

 そこが、とても楽しくて。もっと本格的にファッションの仕事がしたくなりました。今度は東京銀行の駐在員に相談して、「ルラシオン・テクスチル」というテキスタイルメーカーを紹介してもらった。そこで出会ったのが、賢ちゃん(髙田賢三)でした。

大切な2人の友人

 その会社のオーナーのマダムは、賢ちゃんをとても可愛がっていたのよ。だけど、滞在許可証や労働権はなかなか与えられなかった。当時のシャルル・ド・ゴール政権下では、外国人が労働許可を得ることは簡単ではなかったのね。当時の私は事情がよく分からず、「どうしてだろう」と不思議に思っていました。

 その後、私は転職してしまったのだけど、賢ちゃんとは変わらず交流が続きました。賢ちゃんは、いつも気前よく食事をご馳走してくれるの。パリで暮らす日本人は、決して豊かではなかったのにね。優しくてチャーミングで、ユーモアがあって、人に対して何かをすることを惜しまない人でした。彼がいるところに、自然と人が集まってくるような存在だったわ。

フランスの赤ちゃんの慣習に習い、若々しい姿で撮影された高田賢三 62歳のバースデーフォト

友人に宛てた誕生会の招待状は「ドレスコード:若くてかわいい」など、ユーモアたっぷり

 これはしばらく後になってからの話だけど、「ケンゾー(KENZO)」の仕事場があったヴィクトワール広場の傍を、私が朝オートバイで通ると、賢ちゃんのオレンジ色のフォルクス・ワーゲンが必ず停まってた。それを見つけるたびに「ああ、賢ちゃんもう働いているのね」って。とても謙虚で勤勉な人よね。

2019年秋冬コレクションの展示会場で、高田賢三と Courtesy of Junko Shimada

 一生さん(三宅一生)との出会いは、私が働いていたデザイン事務所「マフィア」を訪ねてきたことがきっかけ。当時から、誰もが注目する華のある人でした。一生さんのパリでの最初のショー(1973年秋冬)の、刺し子を取り入れたコレクションは印象に残っていますね。そして一生さんも、私のショーを見に来てくれたのよ。

 2人とも、世界のファッション界を代表する存在。でも当時の私にとっては、同じパリで頑張っている大切な日本の友人。彼らと会う時、ほとんど仕事の話をしなかったわね。私は違う道を歩いていたし、ライバル意識もありません。食いしん坊同士だったから、集まればご飯を食べて、おしゃべりをして笑い合う。ただ一緒に過ごす時間が楽しくて、それだけでよかったから。——第5話につづく

【毎日更新】第5話「学びは宝 『キャシャレル』へ」は、8月6日に公開します。

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