Image by: Koji Hirano

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第1話からつづく——
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1960年、館山を離れて東京の杉野学園ドレスメーカー女学院(現・杉野学園ドレスメーカー学院、通称ドレメ)のデザイナー科に進学。オリンピック開催に向けて活気にあふれる東京での新生活に、胸を躍らせる。一方、学校にはなじめず、足しげく通ったのは教室ではなく映画館だった。当時の若者たちを熱狂させていたフランスのヌーヴェルヴァーグ作品に夢中になり、1日に3本観ることも。銀座のオーダーメイドブティックにも入り浸り、映画とファッションに明け暮れながら、フランスへの憧れを抱いた。——「ジュンコ シマダ」のデザイナー島田順子が半生を振り返る、連載「ふくびと」第2話
学校をサボって映画館へ
とにかく早く館山を出て東京へ行きたかったから、進学が決まった時は本当に嬉しかった。学校の近くに親戚の家があったので、居候させてもらいました。
ところが肝心の学校は、全然面白くなかったの。ほとんど学校には行かず、映画館にいる時間のほうが長かったくらい。ヌーヴェルヴァーグにハマったわ。ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーの映画に夢中になって、1日に何本観ても飽きなくて。スクリーンに映るパリの街並みや登場人物の佇まいがとても魅力的だったから、自然とフランスへの憧れを抱くようになったんです。
私がサボっているなんて両親はもちろん知らないから、毎月きちんと仕送りしてくれて。そのお金でおしゃれをしたり、自由に遊んでいたんだから、良い子ではなかったわね。
ただ、学食がすごく美味しかったので、ちゃっかりお昼ご飯だけはお友達と一緒に学校で食べていました。このスタンスは、今でもあまり変わっていないかもしれないわ。スタッフのみんなと美味しいご飯を食べたいから会社に行っているの。食いしん坊よね(笑)。だけど私にとって、ご飯は大事なモチベーションなんです。

Image by: Koji Hirano

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当時、銀座にあった小さなオーダーメイドのブティックにも毎日のように通っていました。ドレメの卒業生が開いたお店で、そこに並ぶ服を見るのが大好きだった。カーネーションの刺繍が入った白いローン生地のブラウスに一目惚れしたことを、今でも覚えています。
オーナーともすっかり仲良しになって、学校の課題で作る服まで縫ってもらったりして。だから私、今でも洋服をきちんと縫えないのよ。ミシンを触るのは怖いし、裾上げはテープで済ませてしまいます(笑)。
内定を辞退 自由の道を求めて
さすがに遊びすぎて、「このままだと出席日数が足りない」と先生に忠告されたわ。卒業できないかもしれないと焦って、2ヶ月くらい一生懸命通うつもりだったのに、よりによって風邪を引いて、しばらく寝こんじゃったの。それに、学校を卒業したら「館山に帰ってこい」と言われていたので、帰りたくないという気持ちも強かった。なので1年多く通って、卒業したんです。

卒業式写真。上から三列目の中央が島田順子 Courtesy of Junko Shimada
東京での生活が楽しくて、館山に戻るつもりはなかった。なので卒業後は東京で働こうと、オンワード(現オンワードホールディングス)の面接を受けたことがあります。
内定をいただけたのだけど、面談で「あなたは愛嬌があるから店頭に立って」と言われた時、直感的に「違うな」と思ってしまった。安定の大手企業だったのに、結局は辞退。組織の中で決められた道を歩くのではなく、もっと自由でいたいというのが自分の本当の気持ちだったんです。そのまま就職はせずに、腰掛けで働きながら、東京での暮らしを続けました。——第3話へつづく
【毎日更新】第3話「単身パリへ、ショックの連続」は、8月5日に公開します。
最終更新日:
【連載ふくびと】デザイナー 島田順子 全10話
第1話—糸を紡ぐ祖母と趣味人の父
第2話—学校よりもフランス映画に夢中
第3話—単身パリへ、ショックの連続
第4話—大切な友人、賢ちゃんと一生さん
第5話—学びは宝 「キャシャレル」へ
第6話—どん底から「ジュンコ シマダ」デビュー
第7話—必死で守りたかったもの
第8話—フランスに2つの家 結婚
第9話—愛される服を作りたい
第10話—「ジュンコ シマダ」45周年 みんなが幸せになるために
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