Image by: Koji Hirano

Image by: Koji Hirano
2026年に45周年を迎えた「ジュンコ シマダ(JUNKO SHIMADA)」のデザイナー、島田順子。千葉県の館山に生まれ、のびのびと過ごした幼少期、フランス映画に夢中だった東京での生活を経て、25歳で単身パリに渡った。異国の地での感動と孤独、恋愛、出産、子育てを経験。人との巡り合いに導かれながら、1981年に自身のブランドをスタートし、今なおパリを拠点に活動している。
ADVERTISING
髙田賢三や三宅一生らと“モードの黄金期”とされる時代を駆け抜け、日本人デザイナーの先駆者としてパリでキャリアを築いた島田。その根底には、家族から受け継いだ美意識と、自由奔放でポジティブな女性像、彩りある暮らしとともに培われた豊かな感性がある。服作りの原点から、日仏4つの家を行き来しながら仕事を続ける85歳の今へ——島田順子の出会いと半生を、連載「ふくびと」全10話を通して辿る。
第1話——1941年、海軍基地の街として知られた館山の豆腐屋に生まれた島田順子。海と山に囲まれた自然豊かな地で、自由奔放に育った。美意識の原点は、糸から仕立てた着物を凛と着こなす祖母の姿。お洒落で多趣味な父の影響を受け、アートやファッション、車やオートバイへの憧れが育まれていく。優等生の姉と比較されながらも、勉強よりウクレレや絵を描くことに夢中になり、活発な少女時代を送る。
豆腐屋の娘として生まれて
私は6人姉妹の3番目。家業は豆腐屋でした。祖父母と両親、姉妹たちに囲まれて、おてんばな子どもだったわね。館山は気候が温暖で、人もおだやか。魚介や野菜が採れるので、暮らしには困りません。でも一方で、古い慣習や明治の気質が色濃く残る土地でもありました。

館山の自宅で家族や来客とともに。写真右端が島田順子 Courtesy of Junko Shimada
祖母はいつも凛とした姿で、本当にセンスの良い人。蚕を育て、草花を籠にたっぷり摘み、石臼で叩いて絹糸を染め、機で織って着物を仕立てる。そんな姿を幼い頃からずっと見ていたんです。
6歳のお正月、お琴の稽古初めに祖母が作ってくれた着物は、袂を少し長く仕立ててくれて。それがすごく嬉しかったことを覚えていますね。しつけは厳しかったので、気丈な祖母に、他の姉妹はあまり近寄らなかったくらい。明治生まれの祖母の美意識は、今思えば私の原点だったのかもしれないわ。

祖母が仕立てた着物は今も大事に保管している
生まれた時は第二次世界大戦の真っ最中。4歳の時に、終戦を迎えました。館山は海軍の街だったので、街には兵隊さんが溢れていて、庭にも道路にも銃弾が落ちていた。父は戦争末期に召集されましたが、兄弟では唯一、命を落とすことなく帰ってくることができました。一歩違っていたら、沖縄に行くことになり帰ることができなかったそうです。
庭の奥に防空壕があって、そこから見た海の景色を今でも覚えていますね。とても不謹慎なのだけど、幼い私には、海上に広がる戦火が花火みたいに綺麗に見えた。よく見かけていた海軍が着るピーコートや制服にも憧れていたわ。私が今でもマリンテイストが好きなのは、きっとその頃の記憶が影響しているのでしょう。
趣味を教えてくれた憧れの父
父も母も再婚同士だったこともあって少し複雑な家庭でしたが、のびのびと育ちました。父は、お洒落で多趣味。戦場で一生懸命に仕事をしてきたのだからと、祖父からは好きなことをしていいと言われていたのね。まだ珍しかったポインターを連れて山へ鳥撃ちに行ったり、オートバイや車を乗り回したり。夏には館山の海で船に乗せてくれました。そんな父の姿がとにかく格好良くて、大好きだった。父が好きなものに、どんどん影響を受けて育ちました。

現在の館山の自宅

父と、ヨットにて
小さい頃から絵を描くのが好きだった私に、父は本格的な画材を揃えてくれました。当時、田舎の女の子で油絵の道具なんか持っている子はいませんから、それがとても誇らしかった。いつも私の味方になって、全力で応援してくれる人でした。
たまに家に泊まりにくる親戚が絵を教えてくれたり。大正時代にフランスに渡ったことがある珍しい人で。偶然だけれど、今の私の住まいがあるフランスのブーロン=マーロットの隣村で過ごしていたらしいの。もうおじいさんだったから、絵なんか売らなくてもいいって言いながらお酒を飲んではひっくり返っていたけど、その人と一緒に写生に行ったりして油絵を習ったんです。

子ども時代に描いた油絵が、今も館山の自宅に飾ってある
父に喜んでもらいたくて、憧れていた女学校に進学しました。でも、絵を描いたり、ウクレレを弾いたり、オートバイに乗ったりしているほうが好きな子でしたから、勉強はからきしダメだったのよ(笑)。母には、優秀な姉と比べられてよく叱られたけれど、姉とは好奇心の向く先が全然違ったから。学校の成績は、言うのも恥ずかしいくらい悪かったですね。

館山の海水浴場で姉妹と記念写真。前列左から2番目が島田順子 Courtesy of Junko Shimada
進路を考え始める頃、普段はおっとりしている母が珍しく「手に職をつけて自立しなさい」と強く言ったんです。「絵描きでは子どもを育てられないよ」と。それで勧められたのが洋裁学校でした。東京にある杉野学園ドレスメーカー女学院(現・杉野学園ドレスメーカー学院、通称ドレメ)です。
でも当時の私は、とくに洋裁を学びたかったわけじゃない。それよりも、館山を出て東京に行けることにワクワクしていました。——第2話につづく
【毎日更新】第2話「学校よりもフランス映画に夢中」は、8月4日に公開します。
最終更新日:
【連載ふくびと】デザイナー 島田順子 全10話
第1話—糸を紡ぐ祖母と趣味人の父
第2話—学校よりもフランス映画に夢中
第3話—単身パリへ、ショックの連続
第4話—大切な友人、賢ちゃんと一生さん
第5話—学びは宝 「キャシャレル」へ
第6話—どん底から「ジュンコ シマダ」デビュー
第7話—必死で守りたかったもの
第8話—フランスに2つの家 結婚
第9話—愛される服を作りたい
第10話—「ジュンコ シマダ」45周年 みんなが幸せになるために
ADVERTISING
PAST ARTICLES
【ふくびと】の過去記事
RELATED ARTICLE
関連記事
RANKING TOP 10
アクセスランキング

スリーコインズがカナダ発インテリアブランドとコラボ 生活に役立つ雑貨発売
















