上海滞在生活の日々を綴るコラム連載「ニイハオ、ザイチェン」。東コレデザイナー、海外での企画生産を経てアパレルメーカーのアジア展開を担当する佐藤秀昭氏の視点から中国でいま起こっていることを週1回更新でお届けする。第14回は、以前お届けした第9回「上海隔離生活の中の彩り」の続編。引き続きロックダウン中の上海生活の現在をレポートする。
(文・佐藤秀昭)
5月28日土曜日。3月の終わりに始まった上海のロックダウンは今なお続いており、いつ終わるかは正式にはまだ発表されていない。この閉ざされた世界がここまで長引くと想像した人はどれくらいいただろうか。
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個人的には隔離生活エピソード2をここで書くことになるとは思っていなかったが、前回に続き、一人の日本人の話を淡々としたいと思う。もしデロリアンに乗って過去に戻れるなら、色々自分に言いたいことがあるが、蕎麦とめんつゆは2ヶ月分買っておいた方がいいと伝えたい。
◇ ◇ ◇
時を過去に戻そう。
■4月17日(日)晴れのち曇り
隔離が始まって3回目の日曜日。窓の外は悲しいほどお天気で、折り紙の水色のような空が目に染みる。上海市の発表では、住居内で7日間新規感染者が出なければ部屋を出ることが許され、14日間続けば敷地内には外出できるのだが、毎日のように新規感染者が発見され、ふりだしに戻る。こんなすごろくがあったら、きっと子どもはひっくり返すと思うし、トラウマになると思う。
■4月18日(月)晴れのち曇り
仕事を終えテレビをつけると、上海に住む知人が日本のテレビで日々の食材や子どものミルクやおむつを手配することが困難な上海の実情を語っていた。テレビの影響力は偉大で、すぐに家族や友人から安否を気遣う連絡があった。残念ながら日本からの物流はほぼ停止しており、支援物資を受け取ることは難しかったがその気持ちは嬉しかった。
■4月21日(木)晴れのち曇り
10日ぶりのPCR検査が実施された。矛盾しているのだが、ふりだしに戻る可能性を生み出す検査が唯一の外に出られる機会であり、楽しみでもあった。マスク越しに久しぶりに外の空気を吸い、背筋を伸ばす。新緑の眩しさに目がくらむ。夜は青島ビールを片手に上海在住の大学の同窓生が集まる会に参加した。30名ほどが参加していたが、自由に外出できている人は誰もいなかった。
■4月22日(金)晴れのち曇り
サービスアパートメント内での最後の感染者が出てから1週間が経った。明日からは部屋からは出られるようになるという朗報を住居内の誰しもが心待ちにしていた中、昨日の検査で新規感染者が発覚。また振り出しに戻った。
そして、同じような状況が上海市内の至るところで発生し、中国のSNSは上海の現状と政府に対しての不満を訴える「四月之声」という動画で埋め尽くされた。投稿とほぼ同時にその記事は次々と削除されたが、何度消されようと同じ動画が連投され、中国国内では管理が行き届きにくいYouTubeやTwitterでもその動画は投稿された。
「もし、この動画が全て消されてもこの声はみんなの記憶には残る」。中国の友達はそう言った。市民の我慢はすでに限界に来ていた。
■4月24日(日)晴れのち曇り
朝7時にドアが破られそうなほどにノックされ、PCR検査の実施が伝えられる。上海市ではさらなる厳格な管理体制が発表され、突如緑色のフェンスで自宅を囲まれた友人もいた。上海に加え、吉林省長春市、河北省邯鄲市、福建省泉州市、江蘇省昆山市など20都市以上にロックダウンや市民生活の制限は拡大し、中国全土で6000万人の国民がその影響を受けていると、ニュースキャスターがテレビで言っていた。
反面、デリバリーサービスは徐々に復旧し、営業再開したケンタッキーフライドチキンに住人たちは歓喜。100人以上の住人が注文をし、一瞬で完売、閉店ガラガラとなった。注文をまとめる役割を果たす「団長」とカーネル・サンダースには感謝したが、1セット18ピースからという条件は1人には少し多く注文を見送った。刹那、急にざる蕎麦を食べたくなり、いつ届くか分からないがネットで注文をした。
■4月26日(火)曇りのち晴れ
急遽、上海全土2600万人に対してのPCR検査が実施された。「決戦日」と称され、今日のために市外からも防護服を着た医療関係者が集結した光景が報じられ、ブルース・ウィリスが率いる「アルマゲドン」のポスターを思い出した。
決戦の火曜日にPCR検査を待つ間、NHKで4月25日の命日に合わせて放送された尾崎豊の最後のライブを聴きながら、上海市民は一体何と闘っているのだろうか、この隔離生活からは一体いつ卒業できるのかと疑問に思った。
■4月27日(水)晴れのち曇り
上海で僕の髪を切ってくれている「IDEA」の宮本大地さんが、同じ地域で隔離されている住民に向けて「青空美容室」を始めた。彼のこの街で生きていくという強い意思とその行動力、そして人に喜んでもらいたいという真摯な思い。心から敬意を表したいと思った。
■5月1日(日)曇りのち晴れ
大型連休である労働節が始まった。サービスアパートメント内で最後の感染者が出てから1週間経ったが、住居委員会から正式な発令は何もなく、まだ部屋を出ることはできない。このような状況でサービスアパートメントに日本人数名が新たに入居した。中には上海に初めて来た人もおり、当然ながら食材の手配にも苦労されていたので、代理で日本食のお弁当の手配を始めた。この日から僕は「団長」に就任した。
■5月4日(水)晴れのち曇り
連休の最終日。当初発表されていた隔離解除予定から1ヶ月が経った。PCR検査でサービスアパートメントのエントランスに出ると、上海はもう初夏になっていた。
しっかり社会復帰するために、シトウレイさんのオンラインのトレンドセミナーに参加した。パリに行くどころか部屋からも出られない上海で、現在と未来のトレンドを紡ぐ文脈に触れられ、ファッションとは本来、その意思とステートメントを示す表現手段であり、同時にストリートは時代を映す鏡であると再認識させられた。
隔離が終わった後の上海はどんな世界線を示すだろうか。世界で起きているファッションの不文律の変化に対しどう向かっていくべきなのか。窓の外を見ながらそんな事を考えた。
■5月7日(土)曇りのち晴れ
最後の感染者が出てから14日間。ついにサービスアパートメントからの外出が許可された。その範囲は徒歩1分圏内ほどだったが、それでも自分の意志で好きな場所を歩けるという、当たり前のことに感動した。1ヶ月ぶりに見た上海の街に人はほとんどおらず、開いている店もなく車も全く走っていなかった。少し歩いただけで、久しぶりにコンクリートを踏んだ足の裏がジンジンと痺れた。
■5月8日(日)曇りのち晴れ
美容室を経営している住人から営業再開のお知らせが届いたので早速連絡をし、髪を切ってもらった。それだけで少し気分が明るくなった。髪を整えてもらった後はバターになりそうなほどにぐるぐると住居の周りを何周も散歩をし、見つけた野良猫たちに餌と水を上げた。制限はあるものの少しずつ生活が戻ってきた。
■5月9日(月)曇りのち晴れ
退勤後はゴミが放置された1階の飲食店の掃除をし、野良猫たちに餌を上げる発泡スチロールの台を設置した。昨日もいた茶トラの猫は「からあげクン」と名付けた。
上海市の発表では住居内で感染者が2週間以上出なければ自由に外出できるというルールだったが、住居、地域ごとの委員会の判断が重視され、外出を許可された市民はまだほとんどいなかった。
■5月10日(火)曇りのち晴れ
朝令暮改。上海市から、あまり聞き慣れない「静黙」という2文字の新たな発令が発表され、今日からの5日間、また部屋からの外出が禁止となった。さらに感染者が0にならない原因がデリバリーにあるという噂がまことしやかに流れ、生きていく上での最低必要限以外の注文は禁止された。これが中国だと改めて思った。ただ、住居委員会に相談し、朝と夜にからあげクンに餌を上げる許可はもらえた。これもまた中国だと思った。
■5月16日(月)曇りのち晴れ
5日間の“静黙”期間が終わり、住居委員会から、再び外出が許可された。そして、市全体では2日間連続で新規感染者が0となり、徐々に外出制限が緩和され、6月1日から同月中下旬にかけて正常な生活を復帰させるという発令が正式に発布された。隔離生活が始まってから、初めて具体的な未来が見えたことに少しだけ安堵した。
どうしてものり弁を食べたかったので、少しずつ食材を集めていたのだが、よくよく考えたら弁当箱を持っていないのでエアのり弁を作った。あまりに良く出来たので、実家の両親に写真を送った。
■5月19日(木)曇りのち晴れ
5日連続で市全体の新規感染者は0となった。そしてAPITAやカルフールなどの大型スーパーが営業を再開した。ただ入店のためには48時間以内のPCR検査の陰性証明と店から発行される入店許可証が必要となるため、まだ市民生活が元に戻るには時間がかかると感じた。
■5月23日(月)曇りのち晴れ
散歩をしていると、街中を歩く人が明らかに増え、バス、電車などの公共交通機関が少しずつ再開をし始めていた。ただ多くの市民は区をまたいで移動することはおろか、まだ住居から出られていない人が多い中、誰がこの街を移動しているのかを調べたところ毎日1万人以上の市民が上海を脱出していた。
そして、昨日の夜からからあげクンの姿が見えない。向かいのホーム、路地裏の窓、急行待ちの踏切あたりを探しても見当たらない。寂しい気持ちはあったが、優しい飼い主さんが見つかり、僕よりも一足先にこの生活から卒業できたのだと思うと少しホッとした。
■5月25日(水)曇り
仕事を終え、夜更けに猫たちのお皿を交換しに行くと、どこからかミイミイと鳴く小さな声。何と、からあげクンが飲食店の中に閉じ込められていた。お店の方と連絡をし、深夜の大運動会、獺祭の瓶の奥で救出した。
病気感染のリスクもあり先住猫がいる僕の部屋には入れられないため、サービスアパートメント内で保護主さんを募集し、僕がお弁当を手配していた方に預かってもらえることになった。そして部屋に戻ると、蕎麦とめんつゆが届いていた。
◇ ◇ ◇
バック・トゥ・ザ・現在。
新規感染者0人と発表される日々が続く中、先日、同じ区内で日本人が亡くなったという悲しいニュースを聞いた。もしその理由の一端にこのロックダウンが少しでも影響があるならば言葉もない。
そして、6月1日から商業施設、6日からは段階的に学校が再開されると発表された。きっと近日中、乞うご期待で多くの市民が外に出られるようになると思う。
ただ、誰しもが街に出て季節の移ろいを目と鼻と耳と肌で感じ、スーパーで新鮮な食材を買って、映画館や美術館で素晴らしい作品に触れ、デパートで新しい洋服を見て、火鍋を囲んで友人と乾杯とグラスを合わせられるまで、ロックダウンは終わったとは思わないし、それが叶わない日々は“日常”ではないと僕は思う。
日々は動き、今が生まれる。
未知の日常、進む進む。
今はただ、一日も早く上海の普通の“日常”が戻ることを望むだけだ。
尾崎豊「卒業」
次回は6月13日(月)公開予定です。
(※来週6月6日は休載)
■コラム連載「ニイハオ、ザイチェン」バックナンバー
・vol.13:上海でトーキョーの洋服を売るという生業
・vol.12:上海のスターゲイザー
・vol.11:上海でラーメンたべたい
・vol.10:上海のペットブームの光と影
・vol.9:上海隔離生活の中の彩り
・vol.8:上海で珈琲いかがでしょう
・vol.7:上海で出会った日本の漫画とアニメ
・vol.6:上海の日常 ときどき アート
・vol.5:上海に吹くサステナブルの優しい風
・vol.4:スメルズ・ライク・ティーン・スピリットな上海Z世代とスワロウテイル
・vol.3:隔離のグルメと上海蟹
・vol.2:書を捨てよ 上海の町へ出よう
・vol.1:上海と原宿をめぐるアイデンティティ
・プロローグ:琥珀色の街より、你好
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