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上海隔離生活の中の彩り|コラム連載 - ニイハオ、ザイチェン vol.9

上海滞在生活の日々を綴るコラム連載「ニイハオ、ザイチェン」。東コレデザイナー、海外での企画生産を経てアパレルメーカーのアジア展開を担当する佐藤秀昭氏の視点から中国でいま起こっていることをお届けする。第9回はロックダウン中の上海をレポート。期間延長も発表され、モノクロームの現実が現在進行系で続いている隔離生活だが、“運命共同体の船員”たちとの唯一の交流が生活に彩りを添えているという。本稿では発出されるまでの経緯とリアルな隔離生活の実態を綴る。

(文・佐藤秀昭)

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 ニッポンの皆さんもすでにご存知だと思うが、現在の上海は未曾有の危機の最中。新型コロナウイルスの影響で3月末から完全に都市がロックダウンされているのだ。

 当初の計画では4月5日には日常が戻る予定だったが、この駄文を綴る16日現在、ほぼ多くの上海市民はまだ部屋から出ることすらできない。テレビに映る見慣れた街は今ではまるでゴーストタウンのようだ。

 日々の感染者は2万5000人を越えた。毎日至るところでPCR検査や抗原検査が行われ、感染者は隔離施設に連行されていく。デパートやモールの商業施設やスーパーマーケット、コンビニエンスストア、飲食店も全て休業。上海市からの食材配給はいくばくかあり、オンラインでの注文もできるがその商品はすぐには届かない。空っぽの冷蔵庫。上海の食料不足は慢性的だ。市民は欲しい商品によって様々なアプリを使い分け、朝から晩まで携帯の画面を16連打し食材確保に勤しむ。

 これが「日本のワイドショーでも報じられている上海の現在」だろう。ここからは上海全体の話ではない一人の日本人の話を淡々としたいと思う。

◇ ◇ ◇

 時を戻そう。

■3月8日(火)晴れのち曇り
 「女王節」という春の大きなECのイベントが行われた。奇しくもこの日は僕の誕生日で、会社のみんなでチーズケーキを食べた。ただ、少しずつコロナの影は近づき、近所のマンションでは濃厚接触者が確認され48時間封鎖が始まった。その影響で社内でも在宅勤務のスタッフが増え始め、陽性者が出た住居では14日間の隔離措置が取られることとなっていた。それでもまだ日常は続いていた。

■3月12日(土)晴れのち曇り
 上海市への出入りには48時間以内のPCR検査が義務化された。そして中国の航空会社の上海への直行便も停止。4月中旬予定の日本への帰国に不安の雲が立ち込め始めた。スケジュール帳の「奈良美智展」やいちご狩り、企画して頂いていた誕生日会には斜線を引いた。

■3月14日(月)晴れのち曇り
 週が明け、在宅勤務中心となった。出勤のためには48時間以内のPCR陰性証明が必要となり、すぐに病院に行きPCR検査を受けた。商業施設は開いてはいたが、当然客足は遠のき、飲食店フロアはデリバリーとテイクアウトの営業となっていた。

■3月21日(月)雨
 街頭の桜が咲き始めた。封鎖されるマンションはさらに多くなり、PCR検査の陰性証明がないと街を自由に歩きにくくなった。僕は濃厚接触者、また濃厚接触者の濃厚接触者になることを恐れ、誰とも会わず、不要不急の外出は一切しなくなった。小雨がしとしとと降る中、PCR検査で外出したときに通りかかったスーパーには行列が出来ていた。ロックダウンの噂はあったが、上海政府はそれを否定した。

■3月26日(土)晴れのち曇り
 月末の処理作業のためにどうしてもパソコン2画面を使いたく、オフィスにあるディスプレイ回収のため、まずは病院にPCR検査を受けに行った。事務所のあるビルに入るためには陰性証明が必要だからだ。病院の前には早朝から300人以上もの行列ができ、検査を受けるまでに3時間かかった。

■3月27日(日)曇りのち晴れ
 陰性証明を持ってオフィスへ向かう。地下鉄に揺られる乗客はほとんどいない。オフィスの所在地である観光地としても有名な南京东路や近くの外灘にも見渡す限り、誰もいなかった。そして20時23分、上海市政府は上海市を東西に分けてのロックダウンを発表した。黄浦川を挟んで東側の住人にとっては翌朝5時からという突然の封鎖開始となるため、発表後のスーパーマーケットに大勢の人が殺到し大きな混乱を来した。

誰もいない地下鉄のホーム
誰もいない地下鉄のホーム

■3月28日(月)晴れのち曇り
 西側に住む僕は4月1日からのロックダウンに向けてまだ時間に猶予があった。幸運にも入国時の“隔離のグルメのシェフ”のお陰で、手を出していなかった日本からの保存食が多くあったため、必要なものをリスト化し粛々と準備を始めた。

ニイハオ、ザイチェン メインヴィジュアル

くわしくはこちら
隔離のグルメと上海蟹|コラム連載 - ニイハオ、ザイチェン vol.3

 大型スーパーには開店前から長蛇の列ができ、入場が制限された。SNSでそこからクラスターが発生するのではないかと囁かれたため、僕はスーパーには行かず、代わりに近所の「無印良品」に向かい、いくつかのレトルト商品とドライフーズを購入した。いつもは混雑している店内にお客さんがほぼおらず、在庫も充分だった。

 また意外にも家の下のファミリーマートとローソンも充分な品揃えで、ここで水を20リットル購入し、数回に分けて部屋に運んだ。数回目から上腕二頭筋が震え出し、膝のお皿がカタカタと鳴り出した。ふと、「ミスターSASUKE」こと山田勝己氏が仲間を励ます顔が脳裏をよぎった。腕が千切れそうになったが、水があればヒトは生きていける、ロビンソン・クルーソーがクーラーの効いた図書館でそう言っていた。間違いはない、僕は生きていけると思った。

■4月1日(金)晴れのち曇り
 午前3時。僕のロックダウンが始まった。同時にこの半年で火鍋と中華料理と白酒で酷使した胃腸の春休みとして、隔離味噌汁ファスティングを始めた。ロックダウン中に予定されていた2回のPCR検査の1回目を受けた。

■4月3日(日)晴れのち曇り
 この日に行われるはずだった2回目のPCR検査は突如中止。防護服を着た保安員がそれぞれの部屋に抗原検査キットを運び、自身での検査実施になった。そして、上海市の住人2600万人全員に対して、4月4日に改めてPCR検査が行われることが発表された。

■4月4日(月・祝)曇り
 朝7時にドアが叩かれ、保安員から正式にPCR検査の実施が伝えられた。部屋ごとに召集され、マンションの敷地内で検査を受けた。5日までは清明節という日本のお盆休みのような先祖を祀る国民の祝日で休みだったが、当然どこに出かけることもできず、部屋で小津安二郎の「東京物語」を観た。原節子はいつまでも麗しかった。

■4月5日(火・祝)晴れのち曇り
 本来は午前3時に隔離が明けるはずだったが、目を醒まして寝ぼけ眼をこすってもモノクロームの現実は続いていた。上海市からは「前日に行われた全市民のPCR結果を現在分析し判断中、封鎖措置を続行する」と発表された。

■4月6日(水)晴れのち曇り
 隔離生活が深まるにつれ、休業店舗の増加と配達員の減少などから、個人での食材購入が徐々に難しくなった。理由としては、1回あたりの配達のミニマムが、生卵80パック、パン500個などと膨大なためだ。その反動として住居内のグループチャットが誕生し、僕の住居では350人以上が登録されている本グループ、果物&野菜グループ、水&牛乳グループ、生活用品グループなど幾つもグループが生まれ、そのやり取りが活発になり始めた。主なチャット内容は食材の共同購入についてだった。グループごとの団長のもと、メンバーは力を合わせないと欲しい食材のオーダーは通らなかった。

 また、住居によっては上海市ないし居委会(※)から食材の配給が始まり、SNSではその届いた食材についての歓喜、不満、悲喜こもごもが溢れた。僕が住んでいる住居はマンションではなくサービスアパートメントのため、配給はないと覚悟していた。そして、具の入っていない薄めた味噌汁を仙人のように1日1リットル飲む生活を続けていた。舌が敏感となり、僕の精神は味噌汁の向こう側に到達した。

※居委会:中国で都市地域社会に設置された住民組織で、日本の町内会にあたる。政府の保護を受けながら行政補助機能を担っている。

■4月7日(木)晴れのち曇り
 隔離が始まってから1週間が経った。5日間のつもりで始めた味噌汁ファスティングはフィナーレを見失い、気がつけば体重は4.5キロ減っていた。隔離のゴールラインが見えなくなったこともあり、人気のなくなった連載漫画の打ち切りのようにぶつっとファスティングを終了した。そして回復食のスープをゆっくりと嗜みながら、サービスアパートメントのグループチャットに目を通し、翌日から3食お弁当が届くように手配をした。

■4月9日(土)晴れのち曇り
 上海政府から新たな発表があった。全市民に向けての抗原検査、そしてこれまでの住居エリアの感染状況により上海を3つのエリアに区分し段階的に封鎖解除をするという新しい方針だ。一つの兆しが見え、グループチャットは歓喜した。僕の住むサービスアパートメントでも急遽PCR検査が実施された。検査のときだけはマンションの外に出られ、久しぶりに窓越しではない海の琥珀色の空を見た。街頭の桜はすでに散り、葉桜になっていた。

■4月10日(日)晴れのち曇り
 僕のもとにも初めて食材が届いた。上海市からの配給だ。生の野菜を見たのは久しぶりで、キャベツとトマトの緑と赤が眩しかった。生姜の大きさに恐れおののいた。隠し味としてはとても使い切れない。隠しきれない。恥ずかしがり屋の生姜を引っ張って、ステージの真ん中に連れていきピクルスにした。

■4月11日(月)晴れのち曇り
 残念ながら僕の住居は3つに区分された上海市のエリアの中でもっとも感染リスクが高いエリアとなったことが判明し、1週間の自宅隔離が余儀なくされた。そして大量の抗原検査キットが部屋に届いた。領事館にも相談し粛々と帰国の準備をしていたが、この発表に伴い17日に予定していた日本への帰国を延期した。

◇ ◇ ◇

 現在に話を戻す。

 目が醒めたら顔を洗って歯を磨く。そして鼻を噛んで、その鼻に綿棒を突っ込む。抗原検査の結果の待っている間、家の近所で新規感染者が出ていないかを確認する。不合格発表を待つ気持ちだ。そして15分後、検査陰性の結果をアプリに登録する。ここまでが今の朝のルーティーンだ。

 朝食はドアの外のノブにかかっている。今日の献立は、缶に入った八宝粥とゆで卵とヨーグルト。中国のお粥は健康的で口に合う。ミスターSASUKEの応援のお陰で水も充分。僕自身は日々の食事には困ってはいない。ただご家族が多い方、ご高齢の方、持病のある方、妊婦さん、日雇いの方などのご苦労は想像を絶し、出来るだけ協力をしたいと思う。

 仕事を終え小さなキッチンに立つ。部屋に流れるハナレグミの「家族の風景」を口ずさみながら、上海市からの贈り物のキャベツを千切りする。スープのレシピを探そうと携帯を見たところ、「生卵が余っているので欲しい人には譲ります」という中国語のメッセージがグループチャットで流れた。スープに卵を2つ入れたかったのですぐに直接連絡し、何かと交換しましょうと申し出たが頑なに固辞された。

 ただ、僕の拙い中国語でこちらが日本人と気づくと向こうも日本語になり、「日本の小説があるなら貸してくれませんか」とのこと。聞けば、文化服装学院に留学し日本のアパレルでも働いたことがある女性だった。

 この隔離生活、今まで挨拶もしたことがなかった住人との交流はこのモノクロの隔離の毎日に彩りをもたらしている。みんな、図らずも同じ船に乗ってしまった運命共同体の船員で、この先にある穏やかな凪を目指す奇妙な連帯感がある。彼女とは、ドア越しに卵4個と伊坂幸太郎の「死神の精度」を交換した。キャベツだけのスープに綺麗な山吹色と乳白色が彩られ、身体だけじゃなく心がほっと温まった。

 このゼロコロナ政策の果てに何があるかなんて、僕は知らない、見たこともない、ただ、この先にきっと明るく綺麗に彩られた未来はあるはず。そう信じている。

追伸 落ち込むこともなく、僕は元気です。

Mr.Children「彩り」

佐藤 秀昭(Hideaki Sato)

群馬県桐生市出身。早稲田大学第一文学部卒業。在学中に、友人とブランド「トウキョウリッパー(TOKYO RIPPER)」を設立し、卒業と同年に東京コレクションにデビュー。ブランド休止後、下町のOEMメーカー、雇われ社長、繊維商社のM&A部門を経て、現在はレディースアパレルメーカーの海外事業本部に勤務。主に中国、アジアでの自社ブランド展開に従事。家族と猫を日本に残し、2021年9月からしばらくの間、上海長期出張中。

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