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80年代DCブランドの魅力 2002年生まれ24歳に刺さった「トゥーマッチ感」

文・山田耕史

 長野県上田市に店を構える「スノッブ(SNOB)」は、1980年代の日本を席巻したDCブランド*に特化した古着屋だ。同店のオーナーである市村修蔵は、2002年生まれで現在24歳。当然、DCブランドブームは経験していない。そんな彼が、なぜ自分が生まれる前のムーブメントに熱狂し、古着屋を運営するようになったのか。そのきっかけや、商品を仕入れるうえでの苦労、今後の展望などについて、東京・虎ノ門で開催しているスノッブのポップアップ会場で話を聞いた。

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DCはデザイナーズ(Designer's)とキャラクターズ(Character's)の略で、当時のファッション誌ではそれぞれ以下のように定義付けている。

デザイナーズブランド:特定のデザイナー(多くの場合ブランドの創始者やオーナー)が手掛けるブランド
キャラクターズブランド:アパレルメーカーによるブランドで、デザイナー名が公表されていないことが多い

1980年代にDCブランドブームが到来した理由

 まず、DCブランドブーム到来までの日本のファッションの流れについて簡単に整理する。1970年代の東京・原宿では、若手デザイナーによる新しいブランドが次々と誕生。菊池武夫と稲葉賀恵による「ビギ(BIGI)」や、松田光弘の「ニコル(NICOLE)」、大川ひとみの「ミルク(MILK)」などがその代表で、多くのブランドがマンションの一室で運営されていたために「マンションメーカー」と呼ばれていた。同じ頃、森英恵や高田賢三、三宅一生らがパリやニューヨークを舞台に活動を始め、1980年代初頭には山本耀司による「ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)」と、川久保玲による「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」がパリに進出し、「黒の衝撃」として世界的な脚光を浴びる。つまり、1980年代は日本の新世代ファッションデザイナーに大きな注目が集まっていた時代だったと言える。

シャツ

ポップアップで販売している「ワイズ(Y's)」のシャツ

 また、日本経済の繁栄もDCブランドブーム到来に欠かせない要素だ。1950年代中盤から70年代前半にかけての高度経済成長期は終わりを迎えていたものの、その後もまだ日本経済は右肩上がりの成長を続けていた。1979年には日本型経営を称賛する「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という書籍がアメリカでベストセラーとなり、1980年には日本の自動車生産台数が世界一を達成。国内では企業の給与水準が高まり、若者たちの可処分所得も増大していた。つまり、ファッションにかけられるお金が潤沢にあったのだ。

 こういった背景から1983年頃に到来したのが、DCブランドブームだ。多くのブランドが大幅に売り上げを伸ばし、二匹目のドジョウを狙う新ブランドも数多く誕生。マルイなどのファッションビルで行われる半年に一度のセールには、若者たちが長蛇の列を作った。その後、1985年頃にバブル経済が到来。DCブランドブームは日本経済とともに絶頂を迎えるが、1980年代後半から徐々に勢いを失い始め、バブル経済が収束した1990年代初頭には新たなファッションのムーブメントとして「渋カジ」が台頭した。

ポップアップ会場

ファッションの目覚めはデザイナーズアーカイヴ

 ではなぜ、2002年生まれの市村がDCブランドに惹かれたのか。その理由をファッションの目覚めから紐解いていく。兵庫県芦屋市で生まれ育った市村がファッションに興味を持ち始めたのは、中学3年生の頃。当時はデザイナーズアーカイヴの人気が高く、なかでも「マルタン マルジェラ(Martin Margiela)」や「ヘルムート ラング(HELMUT LANG)」が支持されていたが、これらのブランドは既に価格が高騰しており、「値段が高くて買えなかった」そうだ。市村は、神戸・栄町にあった古着屋で、まだ比較的手頃な価格だった「クリスヴァンアッシュ(KRISVANASSCHE)」や「ヴィクター&ロルフ(VIKTOR&ROLF)」、「ヴェロニク ブランキーノ(Veronique Branquinho)」といった、アーカイヴブランドブームのなかでも、それほど注目されていなかったブランドのアイテムを購入していた。

人物

市村修蔵

 また、市村は「ゼム マガジン(Them Magazine)」や「ファッジ(FUDGE)」、「メンズノンノ(MEN'S NON-NO)」といったファッション誌を毎号熟読するなど、ファッション一色の高校時代を送った。高校卒業後、ファッションを専門的に学びたいと考えていた市村は、文化服装学院や英国のセントラル・セント・マーチンズへの進学を夢見ていた。だが、コロナ禍や実家の事情により、彼が進学したのが信州大学繊維学部だ。ファッションの勉強もある程度できるのではと考えていたものの、「実際に学んだのは、思いっきり理系の学問でした」と、苦笑する。

人物

長野で出合ったメンズビギのスタジャン

 そんな長野での大学生活のなかで、特別な出合いがあった。DCブランドブーム時に絶大な人気を誇った「メンズビギ(MEN'S BIGI)」系列店でアルバイトを始めた彼は、過去のカタログに掲載されていた当時の復刻版スタジャン*に心を奪われたという。その出合いをきっかけに、市村は1980年代のDCブランドに没頭してアイテムを収集するとともに、当時のファッション誌の集め始めた。そして大学在学中の2022年9月に、知人の古着屋の一角を間借りする形で、DCブランドアイテムを専門的に扱う古着屋 スノッブをオープンした。

*DCブランドブーム時に多くの有力ブランドがブランドロゴを背面にあしらったスタジャンを販売していた。

スタジャン

ポップアップではメンズビギが初めて販売したスタジャンを扱っている

スタジャン
スタジャン

 市村が最も苦心していると語るのが、商品の仕入れだ。80年代当時のDCブランドアイテムは、これまで付加価値が見出されていなかったために、二次流通市場にほとんど出回っていない。一般的な古着屋ではまず扱っておらず、リユースショップやフリーマーケットなどで見つけるのも至難の業だ。市村は、自身で着用するDCブランドアイテムは、メルカリやヤフオクなどを使って手に入れていたが、それだけでは古着屋を運営できるだけの量が集まらなかったので、買い付けのために日本全国を飛び回った。現在の主な仕入先は日本国内の倉庫に出入りする卸業者だが、それでもなかなか数が集まらないため、最近は個人からの買い取りも行っている。

人物

「当時のDCブランドのアイテムをお持ちの方は是非ご連絡ください。本当に全然集まらなくて困っています(笑)」

“コテコテ”なデザインがDCブランドの魅力

 市村にとっての80年代DCブランドの魅力とは何か。彼が挙げたのが、「トゥーマッチ感」だ。その例として見せてくれたのが、デザイナー 佐藤孝信が1975年に設立したブランド「アーストンボラージュ(arrston volaju)」の1988年秋冬コレクションのアウターだ。「力技で押し切ったような“コテコテ”なデザインが新鮮で楽しい。景気が良かったために、素材や付属品のクオリティが贅沢な点も魅力ですね」と語る。

人物

アーストンボラージュのアウター

人物

 アームホールのデザインとパターンが独特で、市村が「スペシャルなアイテム」だと称賛するロング丈アウターは「テットオム(TÊTE HOMME)」のアイテムだ。市村は「ヨーロッパのブランドではありえない仕様」もDCブランドの魅力だと言う。熟練の職人による手仕事を尊ぶイタリアのデザイナーズブランドに対し、DCブランドは基本的にミシン縫製を主とする。しかし、本来は必要のない箇所にさえ手間のかかる折伏せ縫いを採用するなど、コストを度外視した仕様にこそ、心を掴む独自の美学があるという。

人物
服
人物
生地

 今回のポップアップでは、市村の私物を含むDCブランドブーム当時のファッション誌や、カタログなども展示・販売している。「ミスターハイファッション(MR.HIGH FASHION)」や「流行通信」といった知名度が高い雑誌も並ぶなかで、市村が特に好きだと挙げた雑誌が「エックスメン(X-MEN)」だ。同誌は毎号テーマを設定しており、市村が挙げた号のテーマは「ピンク」。ファッションページはインドで撮影を行っており、現地の一般人を全身ピンクのアイテムでスタイリングした写真が特に気に入っているという。

ポップアップ会場
ポップアップ会場
ポップアップ会場

 雑誌のほかに、当時出版された書籍も揃える。イチオシは、破竹の勢いで成長していたメンズビギの売り上げ推移をグラフで掲載しているなど、ビジネス的な視点でDCブランドブームを分析した「ワールドVSメンズビギ」。1989年に出版された「ファッション狂想曲」は、当時衰退局面にあったDCブランドを批判的に扱っている点が面白いと語る。

書籍
書籍

菊池武夫と栗野宏文に憧れて

 市村は今年の3月に大学を卒業し、現在の活動は古着屋一本。「東京に進出するつもりはないのか」という質問に対し、「今、とても迷っている」と打ち明けた。「上田市の人口は15万人。うちのようなニッチな提案は受け入れられにくい。多くの方から東京進出を勧められているんですが、実は僕は人混みがとても苦手でして(笑)。実家の芦屋にいるときも、人の多い大阪の梅田や心斎橋は苦手でした。ですので、今は東京で知り合った方に『東京で落ち着ける場所ってどこですか?』って聞いているんです」。また、今後は古着を扱うだけでなく、日本のテキスタイル業界を盛り上げるために、ものづくりにも挑戦したいと語る。

 今後の展望について市村は「古着屋という枠を超えて、コンセプトショップのようにしたいきたい」と語る。その理想像として彼がイメージするのが、敬愛する菊池武夫が「タケオキクチ(TAKEO KIKUCHI)」の旗艦店として作った「TKビルディング」だ。FASHIONSNAPが2025年に行ったインタビューで、菊池武夫は同店についてこう語っている。

設計を安藤忠雄さんにお願いして、1986年に完成したのが西麻布の「TKビルディング」です。インテリアデザインは英国のナイジェル・コーツで、売り場にはオリジナルのほかに海外からの買付商品も並べて、靴下や肌着、喫煙具や時計といった小物まで揃う。バーバー、ミュージックカフェ、スヌーカーバーを作り、今で言うセレクトショップやライフスタイルショップの先駆けのような構成かと思います。バブルの時期だったのもあって、とんでもない規模のお金が動いていましたね。(菊池武夫)

菊池武夫

菊池武夫のインタビュー全文はこちらから

【連載ふくびと】第9話 菊池武夫——電撃移籍 「タケオキクチ」の幕開け

FASHIONふくびと

 市村は、菊池武夫に並ぶ憧れの人物として、ユナイテッドアローズ 上級顧問 栗野宏文を挙げた。「栗野さんは、デザイナーズブランドの服に『ニューバランス(New Balance)』のスニーカーを合わせるような、アイコニックなスタイルをお持ちですよね。僕も、DCブランドの服を軸とした自分らしいスタイルを打ち出すことで、DCブランドの良さを伝えていきたいと考えています」。

人物

最終更新日:

◾️2002年生まれなのになぜか80年代のファッションに詳しすぎる古着屋SNOBのポップアップ展
開催期間:2026年9月9日(水)〜9月27日(日)
会場:TIGER MOUNTAIN
所在地:東京都港区虎ノ門3-7-5 虎ノ門Roots21ビル 1階
営業時間:水〜土 13:00〜20:00、日曜日 13:00〜18:00
休館日:月曜日、火曜日、祝日

文・山田耕史

Koji Yamada

FASHIONSNAP 編集記者

1980年神戸市生まれ。関西学院大学社会学部、エスモードインターナショナルパリ校卒。ファッション企画会社、ファッション系ITベンチャーを経て、主夫業と並行してフリーランスとして活動した後、FASHIONSNAPに参加。ファッションを歴史、文化、経済などの多角的な視点から分析し、知的好奇心を刺激する記事を執筆することが目標。

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