ファッションライターsushiが独自の視点で、定番アイテムの裏に隠れた“B面的名品”について語るコラム連載「sushiのB面コラム」。今月は、「メゾン マルタン マルジェラ」から2006年秋冬シーズンのジャケットを紹介。掘れば掘るほど、服オタクの感性を刺激する妙なディテール満載。いまホットなトレンド「クワイエット・ラグジュアリー」ならぬ、「クワイエット・ストレンジ」な魅力に触れる。
しばらく続いたアイキャッチーなトレンドが段々と落ち着きを見せ、誌面やセレブリティのファッションの中でも、むしろ奥ゆかしく上質で、自身のラグジュアリーさや高い社会ステータスを静かに彩ってくれるようなスタイルが目を引くようになった。最近よく聞く「クワイエット・ラグジュアリー」というやつだ。目に留まりやすい大きなロゴの服は、確かに自らのステータスを伝える上で非常に有用であったと言える。だが、そういったスタイルは大げさで品性に欠ける、と感じる人も出てきたのだろう。
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わかりやすいスタイルと奥ゆかしいスタイル、どちらがより良いということはないと思うが、個人的には後者の方が好きだ。前者のスタイルは自分の表したいことを、ファッションに興味を持たない人にも届けることができるという点で強い。一方で後者はいわゆる「わかるやつにはわかる」というやつで、特定の限られたコミュニティの中だけで共有されるマイナーな言語のようなものだと思う。そういったスタイルが徐々に広がりを見せているという事は、もしかするとその言語が通じる人口が増えているのかもしれない。つまり、富やステータスを大きな声で誇示するのではなく、控えめながら上質な素材やラグジュアリーな作りに十分に反映されていることで表現できたり、上辺だけではない自らの目に見えない思想を体現できることを重要視する、そういうファッション感度がよりディープな消費者の間で増えているのかもしれないということで、それ自体は良いことではないかと思う。
だが、ラグジュアリーファッションについて最近薄々感じている事がある。それは、ラグジュアリーなファッションは自分の為には作られていないということだ。
ラグジュアリーファッションは、ジャンルの特性として「裕福層向け」という点が確実に存在する。悲観的だが、自分はしがないサラリーマンであって、高貴な育ちでもない、ごく普通の一般人である。そんなラグジュアリーじゃない人間からすると、ラグジュアリーなファッションを身にまとってクワイエットに決め込もうとしても、自分の伝えたい思想が、自身に相応しくないラグジュアリーなアイテムを経由して表現されることは、本来の自分らしい表現でないように感じるのだ。そもそも控えめに上品に着飾ったところでひっそりと誇示するようなステータスや富も持ち合わせていないし、そういったものをアピールすることへの興味もないじゃん、と思ってしまうのである。
さて、こんな救いのない話をしても仕方がないし、そんなことは考えても無駄なのでトレンドは素直に楽しめばよいのだが、ステータスの誇示や目に見えない思想の表現という話を置いておいても、控えめで上品なスタイルがこれから流行する、という見た目の話の部分は個人的にうれしいことだ。単純にそういう見た目のスタイルは好きである。問題は何を着て何を表現するかだ。自分が控えめな洋服を通じて静かに誇示したいことはいったい何なのだろうか。おそらく自分のような服オタクの読者の皆さんもみんなそうだろうと思うが、「自分、こんな面白い洋服着てます」という事じゃなかろうか。という訳で、今回は「メゾン マルタン マルジェラ(Maison Martin Margiela)」2006年秋冬シーズンのアーカイヴから、一見何の変哲もないジャケットを紹介したい。
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テーラードジャケットに関しては、変にデザインが効きすぎていない、シンプルなものが好きだ。色は黒で、トレンドを意識しすぎたサイズ感やシルエットでもなく、かといってクラシカルなルールに縛られすぎない、普遍性と自分の好みのバランスに優れているものが理想だ。このマルジェラのジャケットは、アーカイヴを多く取りそろえるショップに入った時に偶然発見した物だった。長いこと理想的なダブルのジャケットを探していた僕は、店舗隅のラックにひっそりとかけられていたこの品の良さそうなジャケットが気になり手に取ったところ、本人期のマルジェラの物であることに気付く。こんな何でもないジャケットも作っているものだな、と思いながら試着をしてみると、ヒップも覆われる程度にゆったりとしながらも、オーバーサイズとまではいかない緊張感があり、理想的なサイズ・シルエットの一着だった。だが、一つ怪しい点があった。
2006年当時、シンプルな定番品を取り扱う14ラインが既に立ち上がっていたにもかかわらず、このジャケットのカレンダータグにはメンズのコレクションラインである10番に丸が付いている。マルジェラ本人がわざわざこんなシルエットがいいだけの“何の変哲もない”ジャケットを10で作るのだろうか、そんなことを思っているとある違和感に気づく。やたら前身頃が長いのだ。よくよく見ればベントなし、袖ボタン無し、ポケットはフェイク、サイズ表記は54。普段マルジェラは44~46サイズがちょうどの自分がぴったりなのにも関わらずだ。
なんだこれはとディテールをひっくり返してみると不自然な仕様があれよあれよと出てきた。この“見た目は何でもないくせによく見るとおかしい”ジャケットは、アーティザナルや有名なアーカイヴピースではないが、だまし絵的なトリックや、もしかしたら大きいサイズのジャケットを再構築しているのか?と思わせるようなマルジェラ節がかなり効いている。自分の服オタク気質と、シンプルなデザイン好き、という点を同時に刺激してきた個人的なB面的超名品なのである。
もし自分のスタイルを着ている服で表現してください、と言われれば、おそらくこのジャケットを羽織ると思う。僕は変なディテールが詰まった洋服が大好きだけど、見た目としてはシンプルにバランスよくまとまっているものを好む。シンプルな出で立ちで一見すれば普通のダブルのジャケットだが、説明されないとわからないような妙なディテールであふれているこの一着は、控えめながらも自分の好きな洋服感を控えめながらも色濃く反映している、クワイエット・ラグジュアリーならぬ、クワイエット・ストレンジなジャケットだ。ラグジュアリーである必要は自分にはない。一番主張したいことは、富やステータスではなく、“洋服が好きだ”という事なのだから。それが表現できる洋服を着ていることが、自分にとって最も豊かなことではないだろうか。
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ちなみにこの文章を書いている今、知人の結婚式で大阪に来ている。せっかくなのでとマルジェラのジャケットを着てきているのだが、実は内ポケットも通常のジャケットの3分の1程度の深さしかなく、先ほど少し前傾姿勢になったときに胸ポケットに入れていた携帯が落下して画面が損傷した。ラグジュアリーなジャケットであれば当然機能性も担保されているであろう為、こんなことにはならなかっただろうか。それでも自分は、このジャケットが自分にとって最適であると言い聞かせるのである。
>>次回は11月30日(木)に公開予定
15歳で不登校になるものの、ファッションとの出会いで人生が変貌し社会復帰。2018年に大学を卒業後、不動産デベロッパーに入社。商業施設の開発に携わる傍、副業制度を利用し2020年よりフリーランスのファッションライターとしても活動。noteマガジン「落ちていた寿司」でも執筆活動中。
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