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【あの人の東京1年目】デザイナー リバー・ガラム・ジャンと下北沢/東葛西

Image by: FASHIONSNAP

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 第一線で活躍する著名人たちが、自身のキャリアに影響を与えた“東京”の街について語る連載企画「あの人の東京1年目」。14人目は、「リブノブヒコ(RIV NOBUHIKO)」のデザイナーの1人、リバー・ガラム・ジャン(River Garam Jang)さん。釜山からロンドン、ソウルを経て東京へ。異なる土地で経験を重ねながらファッションと向き合い続け、2024年には第10回「TOKYO FASHION AWARD」を受賞、2025年には初のショーを行うなど注目を集めている彼女だが、その歩みの裏側には、言語や文化の壁に戸惑い、悩みながらも前に進み続けてきた時間があった。それぞれの場所で培ってきた経験は、どのように現在のクリエーションへとつながっているのか。夢追い人たちへ贈る、明日へのヒント。

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すべての始まりは港町・釜山のクローゼット

 私は韓国の釜山出身です。釜山はファッションとはあまり縁のない、海に面したリゾート地。そんな場所で生まれ育った私が今デザイナーとして仕事をしているのは、母の存在がとても大きかったと思います。母はとてもおしゃれな人で、エネルギッシュで、一言で言うと「すごい女」(笑)。小さい頃から着飾った母の姿を見るのが大好きで、母が仕事に出かけたあとクローゼットを開けて、服を取り出しては自分の体に当てたり、ドレーピングしたりして遊んでいました。それが本当に楽しくて、自然と「服を作ること」や「着ること」に興味を持つようになったんです。

韓服を着た幼い頃のリバーさん

Image by: リバー・ジャン

 韓国で学生生活を送っていく中で、もっと広い世界でファッションを学びたいと思うようになったのは自然な流れでした。そこで19歳のときに、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ(Central Saint Martins、以下セントマ)のBAウィメンズウェアに留学をすることを決めたんです。この大学を選んだ理由は、「何を作るか」よりも「なぜそれを作るのか」という考え方を大切にしている学校だと感じたから。私はファッションデザインには製作する理由や文脈があってこそ意味があると思っているので、思想や言葉を出発点とした製作プロセスを教えてくれるセントマのカリキュラムに惹かれて入学を決めました。

 セントマは受験が難しいことでも有名ですが、韓国で服飾を学んだ経験のなかった私にとって、受験課題の一つとして提示されていたポートフォリオ制作が鬼門でした。何から始めればいいのかも分からず、途方に暮れながら毎日ネットで情報を探していたときに、偶然同じ釜山出身でセントマを卒業してロンドンで暮らしている方のブログに出会ったんです。藁にもすがる思いで連絡を取ると、とても親身に受験の相談に乗ってくださって。そのおかげもあり、無事に合格することができました。



在学中に製作したポートフォリオ
Image by: リバー・ジャン

泣きながら、それでも歩みを止めなかったロンドン時代

 高校まで韓国で過ごした私にとって、ロンドンでの生活は困難や挑戦の連続でした。みんなに見送られて空港を出発したときは、正直、悲しさも緊張もあまり感じていなかったんです。でも、ヒースロー空港に着いた瞬間、行き交う人の容姿も話している言語も当たり前ですが韓国とは全く違う。「自分は完全にマイノリティなんだ」と強く実感し、一気に不安が押し寄せてきたのを今でも覚えています。

 ロンドンでの生活をスタートして一番苦労したのは、やはり言語。韓国にいるときは自分は英語ができる方だと思っていたのに、実際はほとんど通じなくて。家探しや銀行口座の開設、電気や水道の手続きなど、韓国にいれば母に電話をして助けを求めることができたことも、すべて英語で、自分だけを頼りに乗り越えるしかなかった。基本的にイギリスの公共機関は日本のように優しくないので(笑)。無表情のぶっきらぼうな人たちと拙い英語でやりとりしながら生活の基盤を一つひとつ築いていくことが19歳の私には本当に難しく、よく一人部屋で泣いていました。 

 ロンドンには合計5年間滞在していたのですが、生活の中心はひたすらファッション。振り返ると、どの瞬間を思い出してもひたすら服を作り、ファッションのことばかり考えていたように思います。学生生活は想像していたよりもずっと大変でしたが、同じくらい楽しく人生で一番クリエイティブな時間でした。とはいえ、モチベーションが下がることはしょっちゅうで、毎日のように「ヒースロー空港に行って帰りたい」とぼやいていました。母は「もう帰ってきてもいいよ」と言ってくれていましたが、その言葉に甘えそうになるたびに、大事な家族や友達を全部置いてまでどうしてここに来たのかを思い出すようにしていました。そんな生半可な気持ちできたわけではないでしょ、と自分を叱って。それでももう辞めたいと思ったときは少し休んで、またやり直す。その繰り返しで、なんとか続けていました。

セントマの教室での写真

Image by: リバー・ジャン

 世界中から集まった生徒たちと文字通り死に物狂いで服作りをしていた日々の中で、先生に「あなたはきれいなものだけが好き。でもそれだけじゃだめ。もっといろんなものを見ないといけない」と言われたことが、今でも強く印象に残っています。当時の私は好きなスタイルがはっきりしていて、それをうまく形にできさえすればそれでいいと思っていました。ある意味排他的で、自分の興味がないものには、全く見向きもしなかった。でもその考えのままでは、世界中から才能が集まるこの場所で自分の想像の範囲を超える服を作ることはできないのだと気づかされたんです。

 そこでせっかくロンドンにいるのだからもっといろいろなものに触れようと思い、当時住んでいたキングス・クロスエリアの近くにあるヴィンテージショップやチャリティショップに足を運ぶようになりました。中でもお気に入りだったのは、アフガニスタンでの教育支援を目的とした移動式のチャリティショップ「Pop Up 38」。このお店ではドネーションされた服だけでなく、現地の人たちが作ったアイテムも扱われているんです。行くたびに、今まで私が選り好みして見ていた「綺麗」とは異なるものが次々に目に飛び込んでくる、とても刺激的な場所でした。

見える世界が広がったパートナーとの出会い

 ロンドンでの生活を語る上で忘れてはいけないのが、現在一緒にリブノブヒコを手掛けているパートナー小浜伸彦との出会いです。同じ学部で学んでいた彼と付き合い始めてからは、一緒にものを作ったり、さまざまなものを見たりして、多くの時間を共に過ごしました。

 初めて共同でコレクションを製作したのは、卒業直前のことです。卒業コレクション自体は別々に作ったのですが、展示会で偶然ブースが隣同士になって。それを見た友人から「まるで一つのコレクションみたいだった」と言われたことがきっかけで、2人で作品を作ってみようという話になったんです。そこで、さきほど挙げたチャリティショップに寄付するために、それぞれの卒業製作をベースにした新しいコレクションを製作しました。

 ファッションデザイナーは文系の人が多いイメージがあるかもしれませんが、私はかなりの理系。高校生までは、一つの答えに収束していく科学や数学が好きでした。だからこそ、明確な正解がないファッションの世界は、ときにストレスでもありました。自問自答を繰り返しながら製作しても、その評価は自分ではコントロールできない部分に委ねられてしまう。大学で学ぶ中で、そうした曖昧さにフラストレーションを感じることも少なくありませんでした。それでも伸彦との製作は違っていて、ただ純粋に好きな人と好きなものを作ることが楽しいと思えたんです。このときの経験が、リブノブヒコの原点になっています。

学生時代の小浜伸彦さん(中央)とリバーさん(右)

Image by: リバー・ジャン

 セントマ卒業後は、「セリーヌ(CELINE)」でアシスタントデザイナーとして働くことになります。フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)やダニエル・リー(Daniel Lee)が在籍していた当時のセリーヌは、私にとってはまさに憧れの場所。ランウェイで見るセリーヌの服は一見すると非常にシンプルで美しいのですが、なぜこれほど多くの女性を魅了するのだろうとずっと不思議でした。その秘密を内側から見てみたい、という強い思いからしつこいくらい何度もポートフォリオを送り続けて(笑)。ようやく面接のチャンスを掴み、晴れて潜り込むことができたんです。

 アトリエで目にした光景は、私の想像をはるかに超えるものでした。完成された美しいコレクションの裏側には、セリーヌのイメージとはかけ離れたような、ありとあらゆるリサーチの痕跡があったんです。全く異なるジャンルの服や、一見インスピレーション源とは思えないようなものまでもが集められていて、それらが最終的にセリーヌという一つの世界観に昇華されていくプロセスが本当に面白かった。そのとき初めて、学生時代に先生に言われた「色々なものを見なさい」という言葉と、目の前の現実が繋がった気がしました。

離れていた時間の先に選んだ、東京という場所

 セリーヌを離れてからは一時的に韓国ソウルへ戻り、ウィメンズブランドのデザイナーとして働いていたんです。そこでパンデミックが始まって。伸彦はその頃日本で一人、ブランドを立ち上げていたのですがコロナ禍の影響で私たちは2年近く会うことができず、このままでは関係を続けていくのが難しいかもしれない、そんな不安を抱えるようになっていました。そんなとき、ふとロンドンで一緒にコレクションを作ったときの記憶がよみがえってきて。あのときの純粋な楽しさや手応えが、自分の中に強く残っていたことに気づいたんです。「今の2人ならもっと楽しいものが作れるはず」と思い、衝動のまま日本へ渡ることを決意しました。

 もちろん、新しい場所に行くことへの恐怖がなかったわけではありません。でも私は、やりたいと思ったらあまり深く考えずに実行してしまうタイプなんです。それに19歳のときにロンドンへ行った経験があったので、日本でもどうにかなるというちょっとだけ根拠のある自信がありました。

日本に来たばかりの頃のリバーさん

Image by: リバー・ジャン

 日本での生活で大変だったのは、ロンドンのときと同じくやはり言葉の壁でした。ただ、日本語と韓国語は文法が近いこともあって、英語よりも習得は早かったように思います。もともと人と話すことが好きな性格なので、できるだけ多くの人と会話をするようにして、子どもが言葉を覚えるように少しずつ教えてもらいながら、語彙を増やしていきました。今では会話はできるようになりましたが、読み書きはまだ勉強中です。日本に来て驚いたのは、日本と韓国は地理的にはとても近いのに、文化や人の性格には大きな違いがあるということ。例えば、韓国人は良くも悪くも感情表現が豊かで、相手の気持ちがすぐに伝わってきます。でも、日本の方はあまり感情を表に出さないことも多くて、店員さんや友人相手に「今、何か変なことを言ってしまったかな」と不安になることも最初の頃はよくありました。

 慣れない土地での暮らしに少し疲れてしまったとき、気分転換を兼ねてよく足を運んでいたのが清澄白河にある東京都現代美術館です。周囲には小さなカフェやレストランが点在していて、街全体に流れる静かで落ち着いた空気が、当時の自分にはちょうどよかった。うまく言葉にできない考えごとを抱えたままでも、その空気の中に身を置いていると少しずつ整理されていくような気がしました。あとは、東葛西にあるアートギャラリー「東葛西1-11-6-A倉庫」には、当時も今もよく通っています。ブランドの立ち上げ初期からアートディレクションをお願いしていることもあって、打ち合わせで訪れることもあれば、ふらっと展示を見に行くことも。若いアーティストを積極的に紹介している場所なので、行くたびに新しい刺激をもらえるんです。

東葛西1-11-6-A倉庫

 リブノブヒコというブランド名は、私たちの名前に由来しています。私の韓国名「ガラム」には「川」という意味があり、ロンドンでは英語名としてリバー(River)を使っていたのですが、そこからさらに短縮して親しい友人たちは私のことを「Riv」と呼んでいたんです。その「Riv」に信彦の名前を組み合わせてRIV NOBUHIKOと名付けました。人の名前だとすぐに分かる信彦の前に「リブ」という一見意味を持っていない言葉が入っているのが、なんだか今っぽくて気に入っています。

 ブランドのコンセプトを考えるのは、主に私の役割です。言葉や考え方をプレゼンするところからスタートして、信彦と話し合いながら具体的な形にしていくことがほとんど。2026年秋冬コレクションでは、イタリア語で「葉の裏側」を意味する「ヴェルソ(VERSO)」をテーマに掲げました。「きらびやかなクチュールの世界は、まるで美しい花の表側。そして、私たちのリアルな日常は、その花を支える葉の裏側。これらは別々に存在するのではなく、常に花の一部として表裏一体で繋がっている」という私のイメージを出発点に、コレクションを製作しました。クチュールは遠い存在ではなく、もっと身近で日常に寄り添うものであってほしいという願いを込めています。



2026年秋冬コレクション
Image by: RIV NOBUHIKO

 私たちのブランドでは、花のモチーフがよく登場します。これは世界で初めての女性ボクサー バーバラ・バトリック(Barbara Buttrick)の「Girls aren’t the delicate flowers they used to be. (女性はもはや昔のようなか弱い花ではありません)」という言葉が着想源なんです。かつて、女性はただ可憐で美しいだけの存在と見なされていましたが、時代は変わり、女性は自立し、強さを持つようになりました。私たちは、そんな「花ではなくなった」現代の女性たちへ、敬意を込めて「花を贈る」ためにこのモチーフを用いています。繊細に見えるけれど実は強い芯を持つ花々は、私たちが理想とする女性像のシンボルなのです。

 私たちの服作りは、多くの女性たちの存在によって成り立っています。実はブランドを始めたばかりの頃、韓国で一人でサンプルを作っていた時期があったのですが、物理的にも時間的にも限界を感じてしまい。そこで「手伝ってくれる方いませんか?」と、閲覧者数もほとんどいないブログで募集をかけてみたんです。そうしたら、たった一日で60件以上ものコメントが寄せられて、その多くが、「子どもがいて外で働けないけれど、こういう仕事がしたい」という女性たちからだった。そのとき初めて、働きたくても働けない女性がこんなにもいるのだと知りました。

 韓国や日本では、結婚や育児、病気や介護をきっかけに女性のキャリアが途切れてしまうことが、今も当たり前のように起きています。そうした現実を目の当たりにして、彼女たちがリブノブヒコの職人として関わることで社会復帰を手助けできる体制を整えていく必要があると感じたんです。その思いから、数年かけてキットやガイドブックを活用しながら、自由な場所や時間で製作に関われるプロジェクト「MY HOME ATELIER」を立ち上げました。現在は、元パタンナーや記者、教師など、さまざまなバックグラウンドを持つ日本と韓国の女性たちが職人として所属し、私たちの服に施されている手作業の多くを担当しています。

MY HOME ATELIERメンバーの作業風景

Image by: RIV NOBUHIKO

自宅に配送しているキット

Image by: RIV NOBUHIKO

“楽しい”がずっと変わらない原動力

 東京という街は、私にとって大きなインスピレーション源です。古いものと新しいもの、クラシックな文化とサブカルチャーが、ごちゃ混ぜに共存している。そのカオスさがとても面白いと感じます。

 特にお気に入りで、思い入れのある街は下北沢。理由は単純ですが、東京で初めて私たちの服を買い付けてくれたセレクトショップ「ディム アット ヌーン(dim at noon)」があるからです。ブランドを立ち上げた当時は、卸先の確保に本当に苦戦していました。無名のデザイナー2人によるブランドなので、まずは存在を知ってもらうことから始めなければならなかったんです。初めての卸契約にたどり着いたのは、日本に来て2年ほど経った頃でした。ディム アット ヌーンの店頭に自分たちの服が並んでいるのを見て、「東京に来た」とようやく実感できたのを覚えています。

 今は店舗がなくなってしまいましたが、当時は海外から友人が訪ねてくるたび、お店のあたりを案内しながら「あそこに自分たちの服が置いてあるんだ」と紹介していました。ディム アット ヌーンに行って、近くの古着屋「ヒッコリー(hickory)」を覗いて、「ナンステーション」でカレーを食べて帰るのが下北沢に来たときの定番の過ごし方でした。久しぶりに訪れた下北沢はかなり姿を変えていましたが、それ以上に私自身が大きく変わったな、と感じます。ここでヴィンテージの服を探して胸をときめかせていた当時の自分を思い出し、とても懐かしく、温かい気持ちになりました。

古着屋「ヒッコリー」外観

「ナンステーション」外観

 2年前に「TOKYO FASHION AWARD」を受賞し、昨年は初のランウェイショーを行うことができました。ありがたいことにブランドの知名度も少しずつ高まりつつある今改めて感じているのは、私にとってファッションは子どもの頃に母の服で遊んでいたあの時間からずっと変わらず、ただ純粋に「楽しいもの」だということです。可愛い服を作り、着て、見る。そのシンプルな楽しさを、これからも大切にしていきたいですし、これからも自分の「好き」という気持ちを起点にこの仕事を続けていけたら嬉しいです。

 これまで釜山、ロンドン、ソウル、東京とさまざまな場所で暮らしてきましたが、どこにいても自分らしさを失わずにいられたのは、家族や友人という大切な存在がいたからだと思います。私のルーツである彼らとのつながりが、場所が変わっても、いつも私を私らしくいさせてくれました。新しい生活を始めた皆さんには、周りの人を大切に、「今の瞬間を大切に楽しんでほしい」と伝えたいです。永遠に続くように思える時間も、いつかは終わってしまうもの。だからこそ、その瞬間にしか味わえないものがきっとあるはずです。そして、もし少し立ち止まりたくなったときは無理をせずに、休む時間も大切にしてほしいと思います。

photography: Sumire Ozawa

最終更新日:

FASHIONSNAP 編集記者

菅原まい

Mai Sugawara

2002年、東京都生まれ。青山学院大学総合文化政策学部卒業後、2025年に新卒でレコオーランドに入社。中学生の頃から編集者を志し、大学生時代は複数の編集部でインターンとして経験を積む。特技は空手。趣味は世界中の美味しそうなお店をGoogleマップに保存すること。圧倒的猫派で、狸サイズの茶トラと茶白を飼っている。

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