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上海で逢った魯迅とハローキティ【コラム連載 - ニイハオ、ザイチェン vol.27】

キティ列車の外観
キティ列車の外観
キティ列車の外観

中国でいま何が起こっているのか。「トウキョウリッパー」でデザイナーを務め、現在は化粧品会社に勤務する佐藤秀昭氏によるコラム連載ニイハオ、ザイチェンが再び期間限定で復活。今回は3年ぶりの上海で訪れた、“巨大なクローゼット”とも表現できる話題の店舗「Basement FG」をレポート。魯迅が生きていた時代への思いを馳せつつ、1932年築の洋館を改装したこの特別な空間で感じ取ったものとは。同氏の視点でお届けする。

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(文・佐藤秀昭

💿一緒に聴きたいBGM: ザ・ブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」

 夏と秋の境目がまだ曖昧な10月の上海。日本との1時間の時差ボケを味方につけて、朝5時に目が覚めた。街が起きだす前にホテルを出て、Jリーグチームとの対戦でも名前を聞いたことのある上海申花の本拠地、虹口足球場の駅へ向かう。

 目的地は一度訪れたいと思っていた魯迅公園。

公園の内部
公園の内部
公園の内部
公園の内部
公園の内部

 魯迅は、僕が知る数少ない中国の作家のひとりだ。学生時代、二日酔いという名の流行病でレポートがどうにもこうにも書けなくて、代わりに魯迅のポートレートをプリントしたスウェットを提出したところ、教授は笑って、“優”をくれた。あのユーモアと器の大きさを今でも尊敬している。あのスウェットは、まだ教授のクローゼットのどこかにあるだろうか。そんなことを異国の地で思い出す。

本

岩波文庫刊「阿Q正伝・狂人日記 他十二篇」

スウェット

学生時代に教授に提出したスウェット。

 魯迅は若い頃、日本へ渡り、白衣の未来を夢見ていた。だが講義室で流れた中国人が嘲られる映像に胸を掴まれ、そこから言葉の方へ歩き出した。東京で触れた西洋の思想と日本の文学が、彼が中国の社会の痛みをユーモラスに描く作品の根幹となっていく。日本は彼の進むべき道が静かに決まった場所だったと言われている。

 魯迅公園は、今よりずっとざらついた100年前の日本と中国を生き、人の弱さと強さを同時に描いた作家の名が刻まれた場所なのだ。

 公園の入口を抜けると、朝露を含んだ空気が肺の奥まで届く。芝生には太極拳の円が広がる。ラジカセから流れるどこか懐かしい歌。朝の光を跳ね返す池。ほとりの並木の下では囲碁盤を挟んで向かい合う老人たち。ランニングシューズが地面に刻むテンポ。過去と現在が、同じ呼吸をしている。

 最近の日中関係を思う。

 国と国がぶつかるたび、人と人の距離までが図られ、カルチャーの交流という橋も跳ね橋のまま宙に浮いている。それでも、その下を流れるヒトの気持ちだけが途切れずに進み、抑えられた想いはいつか音を立てて流れ出すはず。今はきっと、その静かな凪の上に立っているのだと思う。

魯迅の像

魯迅の像

 公園の奥で座っていた魯迅は何も言わずに悠然と立っている。100年前も今も、ヒトは社会の揺らぎを抱えながら生きているのだよと、静かに示すように。

「そういえば、あのときは単位をありがとう」

 心の中で魯迅にそう呟いて、街へ戻る。

◇ ◇ ◇

 乾ききれない季節の湿気が、プラタナスの並木にひそんで揺れている。3年ぶりの上海。知らぬ間に更新され続けるこの街で、どれだけの「新しい風」が生まれたのだろう。ニッポンブランドの今を追い上海ファッションウィークで中国ブランド(国潮)の熱に触れた。次はストリートの息づかいを確かめたくて、レンタサイクルのサドルにそっと腰を落とした。

 正直なところ、3年も日本にいたら上海のことなんて分からなくなるし、アパレルを離れた今、ファッションの移ろいにはついていくことはできず、点と点を追うのが関の山だ。ニッポンのファッションの文脈で、ローカルブランドの景色をどう捉えればいいのか。その観点を持っている人は限られている。

 そこで、コロナ禍にオンラインで日中のアイドル事情や平成ドラマ、ゴールデンカムイを実写化するならキャストは誰にするかに真剣に語り合い、ニッポンブランドもローカルブランドも同じ熱で見つめ続けている、日系大手企業で働くミナミさんに今見るべきショップを教えてもらった。

◇ ◇ ◇

 彼女の金言を頼りに、フランス租界の残り香がまだ眠る住宅街、石庫門住宅と洋館が静かに時間を重ねてきた通り、新楽路に向かった。近年ではカフェやギャラリーが点在し、“歩いて楽しむ歴史建築エリア”として再評価が進む。観光客は「昔の上海を感じる」と言い、住人は「古き良き上海が塗りつぶされていく」とつぶやいているそうだ。

 変化と記憶の境目に立つ通りにある1932年築の洋館。かつては企業のオフィス、交通局、そしてホテルとして街の歴史を受け止めてきた建物。その歴史的建造物が2024年の秋に若者の欲望がぎゅっと詰まった巨大なクローゼット、Basement FGとして生まれ変わった。

Basement FG

キティ列車外観
建物外観

 スマートフォンの地図を頼りに近づくと、中庭には巨大なハローキティの電車が鎮座していて面食らった。歴史ある建築物のファサードの前のニッポン代表のキャラクターの白い丸い顔と赤いリボン。過去と現在、チャイナとニッポンが交わる音が胸の奥で小さく鳴った。

 店内へは、この愛らしい車両を通り抜けないと辿り着けない。踏み込んだ車内はすべてがキティちゃん仕様に置き換えられていた。吊り輪は彼女の横顔とリボンの形。座席は赤と白が交互に並び、壁には「CUTE ALERT(カワイイ警報)」や「The Unexpected Joy of Grocery Shopping(思いがけない買い物の喜び)」と言った標語たちが行き先を案内している。洋服は壁に溶け込みながら吊るされ、車両を進みながら自然と手を伸ばす動線となっている。視線を落とせば、床にはリボンのアイコンが無限に続いている。

キティ列車内観
キティ列車内観
キティ列車内観
キティ列車内観
キティ列車内観
キティ列車内観
キティ列車内観
キティ列車内観
キティ列車内観
キティ列車内観

 車両を抜けた先には、巨大なキティちゃんのぬいぐるみ。圧倒的な存在感。無言のまま進路を塞ぎ、一度ここで立ち止まるよう促してくる。写真を撮らずに通り抜けることは許されない気持ちになる。

店舗内観
店舗内観
店舗内観
店舗内観
店舗内観

 スマートフォンで撮影し、ハッシュタグを添えて外の世界へ流す。それはゴールのようでいて、実はブランドが周到に準備したプロモーションのスタートとなる。SNSには、「この電車、可愛すぎてずっと乗っていたい」「キティちゃんに未来に連れていかれた」そんな声が流れていた。

 階段を上がると、照明がすっと落ち、光の温度が変わる。2階は、ニューヨークの地下駅の記憶を借りたような景色。むき出しの梁、黒く塗られた配管、冷えたコンクリートの壁。空気が急に無表情になっていく。

2F内観
2F内観
2F内観

 圧倒されるのは、その服の量だ。ラックは天井まで積み上がり、ボタンダウンシャツやキャップが壁そのものになっている。色と形が律儀に並び、選ぶ前に心を押し流すヴィジュアルの洪水。暗がりの奥でわずかに光り、量が美しさへと変わっていく。大量生産、大量消費をつまびらかに表現したその壁は整然とし過ぎていて、むしろ潔く感じた。

 そして最上階へ。階段の足触りが木に変わり、硬い反響が柔らかく吸収され、また空気が変わる。Kodakのロゴ、擦り切れた古いレコード、「リーバイス(Levi’s®)」や「チャンピオン(Champion)」の年代別タグの説明。洋服を彩る掠れたミッキーマウス、ベティ・ブープ、孫悟空と冴羽獠。和洋折衷の大衆文化のシンボルたちが仲良く並んでいた。

3階の内観
3階の内観
3階の内観
3階の内観
3階の内観
3階の内観
3階の内観
3階の内観
3階の内観
3階の内観

 ここでは素材、縫製、プリントの質感、タグなどから本物を鑑定する試みはあまり意味をなさず、オリジナルだろうとコピーだろうとリメイクだろうと、その差異は意図的に曖昧にされ、「ヴィンテージ」という箱の中でポップに並べられている。

 これまで、上海でこんな大きなスケールの古着屋、特にアメカジを並べる店舗は見たことがなかった。20世紀の原宿で足しげく通った「原宿シカゴ」の本店を思い出す。混沌と混乱と狂熱が混じり合い、過去の断片がこの街の空気の中で跳ね返っているように感じた。

 ここは単なる着古した服の売り場ではなく、時間の層を体験できる劇場であり、洋服そのものの教室のようでもある。過去の資源が現在の装飾に変換される⎯⎯この建物そのものと同じ方法論が、このフロアには息づいていた。

◇ ◇ ◇

 ミナミさんの話では、Basement FGはオープン直後には2時間待ちの列ができたそうだ。1階にはベーカリーとカフェ。撮る、お茶、また撮る⎯⎯その動線が計算され尽くされている。

 思い返せば、3年前。上海で若い女性の間で熱を帯びていた「ブランディー メルビル(Brandy Melville)」は、華奢な肩幅、過剰なほどに細いウエストと太ももというサイズ感で消費者に境界線を引いていた。事実上、「標準以下で痩せていること」が美とされ、“カジュアル”というジャンルにカテゴライズされているものの、その裏では「選ばれた人だけが着ることを許される服」という概念が静かに成立していた。

 だが、Basement FG はサイズの制限もカルチャーの排他性もなく、より広くその扉を開けているように思った。

「カワイイとのコラボレーション」

「壁のような大量生産・大量消費」

「初めてのヴィンテージ」

 3つの時間、3つの文化。一本の建物の中で同時上映される3部作。それは、今の上海のファッションそのもののように感じた。

 中国のストリートでは、ローカルブランドへのまなざしが確実に濃くなっている。その背景には、日々新しい未来が重ね続けられる上海で、若い世代が求めているものは、飾られた物語でも積み上げられた歴史でも、素晴らしい仕立てでもなく、“いま”を切り取った空気感と多様性なのだろう。

 もしニッポンのブランドが、この規模、この価格、この速度で競おうとしても、コスト、生産、輸送、背負ってきた物語が重すぎる。どれを削ってもBasement FG の中心価格帯である100〜300元(約2000〜6000円)で棚に並べるのは簡単じゃない。そこで戦う必要はなく、ニッポンブランドは自分たちの道を進んでいくべきなのだ。だからこそ、若者たちの選択肢がローカルブランドに寄っていくのは必然なのだと思う。

 ただ洋服を売る店にとどまらず、「いま、ここにいる自分」を発信できる場所が強く求められている。魯迅が生きていた時代から上海を見てきた洋館に突き刺さるキティちゃんの電車の前でスマホを掲げる若者を見て、僕はそう思った。

佐藤 秀昭

Hideaki Sato

群馬県桐生市出身。早稲田大学第一文学部卒業。在学中に、友人とブランド「トウキョウリッパー(TOKYO RIPPER)」を設立し、卒業と同年に東京コレクションにデビュー。ブランド休止後、下町のOEMメーカー、雇われ社長、繊維商社のM&A部門、レディースアパレルメーカーでの上海勤務を経て、現在は化粧品会社に勤務。

最終更新日:

■コラム連載「ニイハオ、ザイチェン」バックナンバー
・vol.26:上海ファッションウィークで聴く2つのTomorrow Never Knows
・vol.25:3年ぶりの上海の風に吹かれて
・vol.24:3年ぶりの上海でどこにいこう
・vol.23:BACK TO THE 琥珀色の街
・vol.22:上海ファッションウィークと日曜日のサウナ
・vol.21:上海の青い空の真下で走る
・vol.20:上海でもずっと好きなマルジェラ
・vol.19:上海のファッションのスピード
・vol.18:ニッポンザイチェン、ニイハオ上海
・vol.17:さよなら上海、サヨナラCOLOR
・vol.16:地獄の上海でなぜ悪い
・vol.15:上海の日常の中にあるNIPPON
・vol.14:いまだ見えない上海の隔離からの卒業
・vol.13:上海でトーキョーの洋服を売るという生業
・vol.12:上海のスターゲイザー
・vol.11:上海でラーメンたべたい
・vol.10:上海のペットブームの光と影
・vol.9:上海隔離生活の中の彩り
・vol.8:上海で珈琲いかがでしょう
・vol.7:上海で出会った日本の漫画とアニメ
・vol.6:上海の日常 ときどき アート
・vol.5:上海に吹くサステナブルの優しい風
・vol.4:スメルズ・ライク・ティーン・スピリットな上海Z世代とスワロウテイル
・vol.3:隔離のグルメと上海蟹
・vol.2:書を捨てよ 上海の町へ出よう
・vol.1:上海と原宿をめぐるアイデンティティ
・プロローグ:琥珀色の街より、你好

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